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通史編序説
  宗教と文化
    四 文化の諸相
      藩校
 江戸時代の後末期には、県下の諸藩においても藩士、その子弟を教育する目的で藩校を設立した。ここでは福井・大野の藩校をもって例示する。
 福井藩では松平慶永が横井小楠の意見などを容れて教育の振興をはかったが、安政二年(一八五五)に明道館を設立し、教育科目の中に医学・蘭学が加えられた。橋本左内を抜てきして学監とし、規模を拡張して洋書習学所を設立した。
 大野藩では土井利忠が天保十四年(一八四三)に明倫館を創立し、翌弘化元年に校舎を新築した。利忠はまた校外に蘭学所を設立して、安政二年に伊藤慎蔵を大坂より招聘して指導にあたらせた。蘭学がさらに盛んになり、諸国より集まる留学生も少くなかった。また洋書の翻訳出版も行われている。両藩校ともに新時代の到来に眼を向けて対処する姿勢を示している。
 以上は主として近世期までの、県史上に顕著と思われる問題事項、とくにそのうち地域的に特色をもち日本史の流れに寄与するものがあると考える諸項に視点をおいて略述した。もとより本通史編においてはこれらは詳細に考述されるであろう。
 近現代については、右に準じた記述は控えることにする。明治に入り福井県が成立し、近代国家形成を志向する国是に対応する地方諸制度創立・社会運動推進など、曲折あり苦難も少なくない県の官民の努力がある。やがて日清・日露の戦争、第一次大戦参戦があり、この間にあって産業革命・労働運動・二次にわたる護憲運動、米騒動また大戦後恐慌など、目まぐるしい激動期に、県は地域の特殊性を保有しつつもいかに対処したであろうか。次いで満州事変より日中戦争、さらに太平洋戦争へかけて、政府中央からの指導統制があり、戦時体制がすすめられて政治・経済・思想など諸般の統制強化をみたが、県はそれらを受けていかに実施したか、また県や市町村の特殊事情がいかにそれに関連融合して実践に移されたであろうか。大戦終わって、戦後の復興、諸制度の改革・整備、教育の民主化、農地改革、産業振興改革、交通運輸整備などが進められたが、県はその一環として参与し実現できたであろうか。以上は近現代の取り扱う重要課題の一端であろう。
 近現代史はこれにいたる歴史の帰趨ともいいうるし、これをふまえて新しい動向や事実を広く的確に把握し、今後の趨勢を解明しまた予測するものであろう。しかし複雑に動く現在に直接つながるものであり、その考述はかえって困難なものがあろう。それはもとより時勢の基底をよく理解し、問題の本質を正しくとらえたものでなければならぬ。本通史編においてはこれをよく成すものであり、またこれを期待するしだいである。



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