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通史編序説
  宗教と文化
    二 曹洞宗と真宗教団の発展
      蓮如と真宗の弘布
 蓮如は文明三年(一四七一)に山門の迫害を避けて、近江を出て越前より加賀に遊化し、吉崎(金津町)に居を定めた。越前には、蓮如入国以前に真宗の地盤はかなり強く築かれていた。鎌倉後期に高田派の如導や信性が三河より越前にきて、如導は大町専修寺(福井市)を建て、信性はのちの和田本覚寺(福井市、近年永平寺町に移る)の基を開いた。専修寺の門流より横越証誠寺(鯖江市)・鯖江誠照寺・中野専照寺(福井市)が開かれて三門徒を形成した。十五世紀中ごろ、専修寺の十世真慧のとき加越地方で布教し、専修寺派の勢力を広めている。
 吉崎には、山上の本坊を中心に多くの多屋(宿坊)が建てられた。蓮如の教化によって、北陸の真宗は著しく弘布発展した。蓮如は六字名号など名号を書き与え、御文を各地に発して布教に努めた。門徒組織として講がつくられ、村の指導層を中心として村民が講に参加する事態もみられた。文明七年、加賀の富樫政親と本願寺派との間に衝突がおこり、蓮如は難を避けて吉崎を退去した。北陸の諸地域が真宗王国といわれるにいたった主要な礎石は、蓮如によって越前の吉崎の地に据えられたといってよい。



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