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通史編序説
  宗教と文化
    二 曹洞宗と真宗教団の発展
      永平寺開山道元
 安貞元年(一二二七)、宋より帰国し日本曹洞宗開立を宣揚した道元は、寛元元年(一二四三)越前志比荘に入った。それは叡山の迫害を避け、また志比荘地頭波多野義重や越前波着寺(跡地は福井市)の懐鑑らの勧めがあったからであろうといわれる。翌年大仏寺に入り、やがて永平寺と改称し、厳しい修行に終始した道元は、病により永平寺を孤雲懐弉に譲って京に赴いて没した。懐弉のあと永平寺三世となった徹通義介は越前の人、寺内での対立によって永平寺を退き、大乗寺(金沢市)の開山となった。その門下にやはり越前の人蛍山紹瑾が出て、総持寺(石川県門前町)の開山となり、その門派から曹洞宗は著しく発展することとなる。



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