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通史編序説
  産業・交通と都市
    三 港市の発達
      小浜
 鎌倉時代には、若狭の浦うら所有の廻船の活発な動きにみるべきものがあった。古くから港津としては気山津(美浜町・三方町)が知られたが、南北朝ころよりしだいに衰退して、かわって小浜湊が発展することとなった。応永十五年(一四〇八)、小浜に来着した南蛮船は、旧港(スマトラ島のパレンバン)宣慰使施進卿という華僑の頭目とみられる者の派遣船である。そのころ小浜にはすでに問屋も存在していた。敦賀と同様に、中世末には蝦夷地との海運も開け、近世初期には秋田・南部などとの貨物運送取引も盛んとなった。近世に入ると、畿内と北陸・東北を結ぶ中継港として初期の豪商も活躍した。西廻り航路の発達により影響を受けたことも敦賀と同様である。



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