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通史編序説
  宗教と文化
    一 天台宗・真言宗の寺院
      白山信仰と白山天台系寺院
 越前では泰澄を開基と伝える寺院が中世には栄えて、とくに平泉寺(勝山市)・豊原寺(丸岡町)は、広大な寺領と多数の寺坊・衆徒を擁して勢威をふるった。 泰澄は七世紀末に越前麻生津(福井市)に生まれたといわれ、越知山(丹生郡)に入って練行し、白山に登攀した。白山は泰澄によって開かれたと伝えられ、修験者参篭の場となり、越前・加賀・美濃の三馬場が成立し、越前では平泉寺をもって白山禅定道の起点とした。
 平泉寺は平安後期に、豊原寺は鎌倉初期に延暦寺末となったが、豊原寺の場合はとくに真言密教その他の教法も混在している。両寺ともに中世には多数の末社寺坊を擁して勢威をふるったが、他方に芸能や商工業の場となったことが注目される。平泉寺は天正二年(一五七四)一向一揆のため一山の社堂は灰燼に帰し、豊原寺も同年一揆軍の根拠地となり、翌年織田信長の陣所となって堂塔焼亡し、ともにまったく衰微した。
写真8 白山平泉寺坊院跡

写真8 白山平泉寺坊院跡



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