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通史編序説
  政治・社会
     二 社会の構造・制度
      浦とムラ
 若狭の海岸は漁業の先進地で、中世にはその発達の著しいものがある。十三世紀中期以後には、かなり規模の大きい立網などの網漁も盛んとなるようである。浦にはもとより多少の農作や林業なども行われたが、漁業の発展にともない生活の基盤が漁業へと傾斜していく。多烏浦(小浜市田烏)や汲部浦(小浜市釣姫)などに網場が権利の対象として確立しその共同的な利用もみられ、また浦の惣有する大網も存立する。多烏浦秦氏の船「徳勝」の事実が示すように、日本海岸を広い範囲にわたり物資の輸送交易をも行う廻船も浦に所有された。
 鎌倉後期より農作地においては、名主層を中心としながらも小百姓も加わり、自治的な結合をなしたムラが形成され、さらにいくつかのムラを単位とする惣村が展開する。このような惣村の展開を背景として、名主・百姓は荘園領主に対して年貢・公事の減免抗争なども企て、利益擁護や制約排除などのため一揆などを起こすにいたるのである。
写真5 過所船旗

写真5 過所船旗




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