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通史編序説
  政治・社会
     二 社会の構造・制度
      東大寺と荘園
 正倉院に保管される八世紀中期作製の東大寺開田地図二〇点のうち、越前関係は三枚あって道守荘・糞置荘にかかわるものである。近江国より北陸にかけて東大寺領の占定が進められ、越前では天平勝宝元年(七四九)に坂井郡・足羽郡を中心に開田占有が行われた。越前において東大寺領の拡大は、現地の豪族の寄進や百姓墾田の買得などによって進められた。とくに足羽郡大領生江臣東人は、東大寺領荘園の増大にもっとも尽力し貢献した人物である。越前においては条里制の施行も畿内諸国とならんで進んでいた。東大寺領の占定が、この地に活発に行われたのは、開発の進んだ土地であり、畿内に近接して交流しやすいという地域的関係にもよるであろう。しかし、平安遷都後には東大寺勢力にも一頓挫がみられて、越前の東大寺領荘園も廃絶に傾いていった。



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