目次へ  前ページへ  次ページへ


通史編序説
  政治・社会
    一 政治の推移
      朝倉氏と武田氏
 朝倉広景は高経に従って越前に入り、黒丸城(福井市)に拠り、以来朝倉氏は支配範囲を広げんとして守護代甲斐氏らとも対抗する。英林孝景のとき応仁の乱にあたり守護となる機をとらえ、一乗谷(福井市)を本拠とし戦国大名化への途を進めることになった。孝景の定めた十七箇条は戦国大名家法の先駆的なものといえよう。孝景からその子氏景より貞景の代にかけて、とくに敦賀郡・大野郡には郡司を任命するなど支配体制を確立した。
写真3 朝倉義景館跡

写真3 朝倉義景館跡

 若狭守護は永享十二年(一四四〇)に武田信栄が一色氏に代わる。信栄以来武田氏の支配は九代にわたるが、若狭は畿内に近く、幕府の指令により、あるいはその関係から近国などに出陣することも少なくなかった。応仁の乱には東軍に属して戦い、その後も将軍義尚・義稙に従い近江の佐々木攻めなどに参陣した。武田氏は守護所を小浜に移して青井山(小浜市)に城塞を築いたが、五代元光のとき大永二年(一五二二)後瀬山(小浜市)に城を移した。



目次へ  前ページへ  次ページへ