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通史編序説
  政治・社会
    一 政治の推移
      北陸の大国
 律令制以前においては、越前・若狭は越のうちとして考えられよう。福井県の地域に、そのころ若狭・高志・三国・角鹿の四国造が存在したといわれる。越が越国となり、律令制下ではすでに越国は越前・越中・越後の三国に分割され、そのころ若狭国はすでに成立していたらしい。越前は越の道のくちとよばれて、北陸道諸国の政治統制上のかなめとされた。
 なお、越前については継体天皇の問題がある。天皇の世系や即位の経過事情などをめぐって諸説があるとしても、越前の地に深い由縁のあることは否定できないであろう。
 越前は律令制下において殷富の国として、また対外交流の要所として重視された。越前の国名初見は七世紀末であるが、藤原仲麻呂の子息が国司となっており、仲麻呂がその乱のとき越前に逃れようとして警戒された愛発関は三関の一つでもあった。越前より分割されて、八世紀初期に能登が分立し、九世紀初期に加賀が成立したが、『延喜式』にはなお越前は北陸道七か国中で唯一の大国とされている。



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