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通史編序説
   原始より古代へ
    二 弥生時代より古墳時代へ
      古墳文化
 向出山一号墳(敦賀市)は大型円墳と考えられ、竪穴式石室からは類例の少ない鉄地金銅装眉庇付胄二領と鉄地金銅装頚甲一領が出土し、この地方の首長墓と考えられる。王山・長泉寺山の両古墳群(鯖江市)は古墳前期の方形周溝墓として知られ、畿内の古墳とは直接の関連は認めがたいといわれるが、足羽山古墳(福井市)や向出山古墳などの前方後円墳・円墳は中期に属し、畿内的古墳とされている。
 六呂瀬山古墳群(丸岡町)は九頭竜川が福井平野に流れ出るところ、その右岸の丘陵上に所在し、またその左岸の丘陵上に松岡古墳群がある。この両岸の大首長の墓とも考えられるものは、標高一六〇〜二七三メートルの山頂で、しかも広域を見渡せる位置に立地しており、越の国形成上の活躍をも想察されるものがある。とくに、六呂瀬山古墳群には、中期と推定される前方後円墳二基を含めて約一三〇基ほどもあり、その一号墳は全長一四〇メートルにも及ぶ北陸地方最大規模の前方後円墳である。
 脇袋古墳群・船塚古墳群(上中町)、若狭地方で最大規模の中期の上ノ塚古墳をはじめ、前方後円墳・大型円墳が北川流域の上中町に集中している。これらは若狭で政治権力を所持した膳臣一族の奥津城と伝えられる。朝鮮半島との関連を推測させる金製耳飾などの副葬品や吉備地域の特色をもった埴輪も出土している。



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