今月のアーカイブ Archive of the Month

月をながめた人びと

 1969年(昭和44)、アポロ11号は史上初めて人類を月に着陸させることに成功しました。人類で初めて月面に降り立ったアームストロングは「人間にとって小さな一歩だが、人類にとって大いなる飛躍だ」と世界に呼びかけました。
 それから50年後の2019年6月15日(土)~21日(金)、第32回宇宙技術および科学の国際シンポジウム(ISTS)が福井県で開催されます。ISTSは世界最大規模の宇宙国際会議で、福井県での開催は初めてです。
 この展示では人類の月面着陸50周年とISTS福井大会の開催を記念し、月にまつわる資料を紹介します。

会期

2019年4月26日(金)~6月26日(水)

後援

宇宙航空研究開発機構(JAXA)

陰暦これくしょん

「(暦 文政4-13(欠8) 天保3-16(欠11) 弘化3-5  嘉永2-8 安政3・7 文久3-4 元治2 慶応2-4年)」
「(暦 文政4-13(欠8) 天保3-16(欠11) 弘化3-5  嘉永2-8 安政3・7 文久3-4 元治2 慶応2-4年)」
「(暦 文政4-13(欠8) 天保3-16(欠11) 弘化3-5  嘉永2-8 安政3・7 文久3-4 元治2 慶応2-4年)」
「(暦 文政4-13(欠8) 天保3-16(欠11) 弘化3-5  嘉永2-8 安政3・7 文久3-4 元治2 慶応2-4年)」
1821年(文政4)~1868年(明治1)
「(暦 文政4-13(欠8) 天保3-16(欠11) 弘化3-5  嘉永2-8 安政3・7 文久3-4 元治2 慶応2-4年)」
松田三左衛門家文書(当館蔵) A0169-00827
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 江戸時代の暦は太陰太陽暦(太陰暦、陰暦)と呼ばれ、1ヶ月を月(太陰)が満ち欠けする周期に合わせて作成されていました。
 月が地球をまわる周期は約29.5日なので30日と29日の長さの月を作って調節し、30日の月を「大の月」、29日の月を「小の月」と呼んでいました
  一方で、地球が太陽のまわりをまわる周期は約365.25日で、季節はそれによって移り変わります。大小の月の繰り返しでは、暦と季節が合わなくなってきます。そこで、2~3年に1度は閏月を作って13ヶ月ある年を作り、季節と暦を調節しました。
 江戸時代に入り、天文学の知識が高まると、暦と日食や月食などの天体の動きが合わないことが問題となり、江戸幕府が主導して暦を改めようとする動きが起こりました。1685年(貞享2)、渋川春海によって初めて日本人による暦法が作られ、暦が改められました。これを「貞享の改暦」といいます。
 その後、「宝暦の改暦」(1755年(宝暦5))、「寛政の改暦」(1798年(寛政10))、「天保の改暦」(1844年(弘化1))と4回の改暦が行われました。
 紹介している資料は「新法暦書(天保暦)」です。これは高橋景保と渋川景佑によって作成された太陰太陽暦で、最新の西洋天文学の成果を取り入れています。前文には改暦の理由や暦の名前の由来などが記されています。

太陽暦の導入

 「明治六年太陽暦」
1873年(明治6)
「明治六年太陽暦」
坪田仁兵衛家文書(当館寄託) C0005-01821
 明治政府は西洋の制度を導入して近代化を進めました。その中で、暦も欧米との統一をはかり、1872年(明治5)11月、太陽暦(グレゴリオ暦)への改暦を発表しました。 これにより、73年から太陰太陽暦にかわり現在使われている太陽暦が採用されたのです。しかし、72年12月3日が新しい暦では73年1月1日となったため、国内は混乱しました。
 資料は改暦最初の太陽暦です。太陽暦での月日と曜日だけでなく、月齢や節気が記載されています。また、下部には太陰太陽暦での月日と干支が記載されています。

大正期の暦

「大正十二、十三、十五年略本暦」
1922年(大正11)~1925年(大正14)
「大正十二、十三、十五年略本暦」
松田三左衛門家文書(当館蔵) A0169-02262
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 資料は1923年(大正12)、24年(大正13)、26年(大正15)の暦です。 紹介しているのは26年の暦です。この暦によれば、同年7月10日に日食が起こると予測されています。
 『天文月報 第19巻 第9号』(日本天文学会 1926年)によれば、この日の天候は良好で、日本中で日食が観測できたようです。そのため、観測の記録も残されています。この日食は金環日食でしたが、日本では部分食を見ることしかできなかったようです。
 左側には星座が記載されていますが、これらは夏に日本で見える星座です。

春嶽も見た月食

「御側向頭取御用日記(13)」
1866年(慶応2)7月~12月
「御側向頭取御用日記(13)」
松平文庫(福井県立図書館保管) A0143-00523
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 「御側向頭取御用日記」は、松平慶永(春嶽)の側近である側向頭取が記した日記です。慶永の日常が細かく記録されている貴重な資料です。
 1866年(慶応2)8月16日、日中は雨でしたが、夜になると晴れて皆既月食を日本でも見ることができました。この資料では「月蝕 皆既」と記録されています。京都では22時29分~0時7分まで月食が見えたそうです。
 この日慶永は京都にいて、少なくとも夜の1時過ぎまで起きていることから、皆既月食を見たかもしれません。

東海道を照らす月

 「(東海道五十三次など)」
 「(東海道五十三次など)」
年月日未詳
「(東海道五十三次など)」
勝見宗左衛門家文書(当館蔵) B0037-00661
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 「東海道五十三次」は歌川広重の代表作ですが、広重は様々な「東海道五十三次」のシリーズを作りました。 その中でもこれは「狂歌入東海道」と呼ばれるシリーズの作品です。絵の中に狂歌が書かれているのが特徴です。
 紹介しているのは「府中」と「赤坂」の2点です。府中は現在の静岡県にあり、東海道の19番目の宿です。また、赤坂は現在の愛知県にあり、東海道の36番目の宿です。  どちらも月が描かれた作品ですが、月が黒いか白いかどうかで、作品から受ける印象が異なるのが面白いところです。

天気が悪いのはツキがないからだ

 「明治補刻永代大雑書万暦大成」
 「明治補刻永代大雑書万暦大成」
1901年(明治34)
「明治補刻永代大雑書万暦大成」
坪田仁兵衛家文書(当館寄託) C0005-01345
 雑書とは、近代以前における各種の暦や占いに関する書物のことを言います。
 資料は1842年(天保13)以来何度も重版された「永代大雑書万暦大成」を、明治時代に出版したものです。
 紹介しているのは月の雑占(たくさんの雑多な占い)の部分です。月に関する様々な占いを集めています。
 月の形や色、月にかかる雲の様子などから、天気がこれからどのように変化するかがまとめられています。
 月に関する占い以外にも、月の動きや月食などに関する記述も見受けられます。

「月光」誕生偽物語

「小学国語読本 巻十一」
「小学国語読本 巻十一」
「小学国語読本 巻十一」
「小学国語読本 巻十一」
「小学国語読本 巻十一」
1939年(昭和14)10月
「小学国語読本 巻十一」
坪田仁兵衛家文書(当館寄託) C0005-01470
 資料は昭和期の小学校6年生の国語の教科書です。
 ベートーヴェンが作曲したピアノソナタ第14番(通称「月光」)を題材とした単元が収録されています。
 「ベートーヴェンが月明かりの中で散歩をしていると、一軒の家からピアノの音が聞こえてきた。近づいて見ると、家の中でピアノを弾いていたのは盲目の少女で、それに驚いたベートーヴェンは、家にお邪魔して、即興演奏をし、その演奏をもとに帰宅してから完成させたのが不朽の名作「月光」である。」
 以上が、簡単なあらすじです。
 しかし、この話は全くのデタラメです。ヨーロッパで作られたフィクションのようですが、日本ではこのように教科書に掲載されていたこともあり、長年信じられていました。
 そもそも、ベートーヴェンは自分の作った曲に自分でタイトルをつけることを嫌っていたことで知られ、「月光」という呼び名はベートーヴェンがつけたものではありません。  

りかのおべんきょう

「高等小学理科書 第二学年児童用」
「高等小学理科書 第二学年児童用」
1913年(大正2)1月
「高等小学理科書 第二学年児童用」
坪田仁兵衛家文書(当館寄託) C0005-01904
 資料は大正期の高等小学校2年生(現在の中学校2年生)の理科の教科書です。
 当時も中学校の理科に「太陽と月」という単元がありました。現在の一般的な中学校では、太陽や月などの天体については、中学校3年生で学習しています。
 この教科書では、新月から次の新月に至るまで平均約29日とありますが、現代の研究成果(平均29.530589日)と比較しても、この数字は正確です。
 よく見ると、随所に教科書の持ち主の書き込みも残っており、持ち主はどうやら勉強熱心だったようです。

諭吉の熱弁

「改暦弁」
1873年(明治6)1月1日
「改暦弁」
吉川充雄家文書(当館蔵) C0037-00787
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 1872年(明治5)11月の太陽暦への改暦に対し、福沢諭吉が73年(明治6)1月に出版したのが「改暦弁」です。
 新旧暦の比較を中心に、曜日や月の英語名、時計の見方までも記述しています。
 福沢は「太陽暦の採用には賛成だが、政府は簡単な改暦の布告と詔書を一方的に下すのみで国民に詳しく説明しようとしない。そこで、自分が改暦について説明しようと考えた」と後に回顧しています。
 ちなみに、改暦の布告・詔書が下された頃、福沢は風邪で寝ていましたが、病床で執筆し、約6時間で原稿を完成させたといいます。

芭蕉も見た敦賀の月

「(絵葉書 敦賀港、弁天岩、松原公園、神宮寺鐘、西福寺)」
「(絵葉書 敦賀港、弁天岩、松原公園、神宮寺鐘、西福寺)」
「(絵葉書 敦賀港、弁天岩、松原公園、神宮寺鐘、西福寺)」
「(絵葉書 敦賀港、弁天岩、松原公園、神宮寺鐘、西福寺)」
「(絵葉書 敦賀港、弁天岩、松原公園、神宮寺鐘、西福寺)」
年月日未詳
「(絵葉書 敦賀港、弁天岩、松原公園、神宮寺鐘、西福寺)」
桜井市兵衛家文書(当館蔵) N0055-00763
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 資料は敦賀の名所などを題材とした写真絵葉書です。敦賀と月といえば、松尾芭蕉です。
 1689年(元禄2)8月14日~16日、『おくのほそ道』の旅程で芭蕉は敦賀に滞在しており、気比神宮や金ヶ崎、金前寺や色ヶ浜、本隆寺などを訪れています。
 14日の夜、芭蕉は翌日に月を見に行こうと考えていましたが、宿の主人から北陸の天気は不安定なことを聞き、その日の夜のうちに月を見に行きました。
 翌15日、主人の言う通り、雨が降りました。そこで芭蕉が詠んだのが、「名月や 北国日和 定めなき」です。

仲麻呂、歌を詠む

「古今和歌集(巻1-10)」
1691年(元禄4)
「古今和歌集(巻1-10)」
桜井市兵衛家文書(当館蔵) N0055-00809
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 『古今和歌集』は最初の勅撰和歌集で、八代集の一番目の和歌集です。全部で20巻あります。905年(延喜5)、醍醐(だいご)天皇の命により、紀貫之らによって編さんされました。
 紹介しているのは阿倍仲麻呂の歌です。仲麻呂は遣唐使に随行する留学生として唐に入国し、唐の皇帝玄宗に重く用いられました。しかし、有能であったためかなかなか帰国が許されず、帰国しようとしたものの乗船が難破してしまい、帰国できずに唐の地で没しました。
 この歌はようやく帰国を許可された仲麻呂が送別の宴で詠んだ歌です。

パネル展示

月とガンダムと幕末維新史

配布物

福井県文書館

〒918-8113
福井県福井市下馬町51-11
TEL.0776-33-8890
FAX.0776-33-8891
Mail.bunshokan(at)pref.fukui.lg.jp

開館時間

開館時間  9:00~17:00
休館日   月曜日(祝日の場合は翌日)  
      第4木曜日