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今月のアーカイブ

 Archive of the Month


平成18年9月展示
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「まちづくりの原点−都市計画と風致地区−」


都市計画とは、都市の健全な発展と秩序ある整備を図るための、
土地利用、施設整備、開発事業などに関する計画です。
福井県下では、まず1929年(昭和4)に福井市とその近隣7か村にわたる地域が
「福井都市計画区域」として認可され、都市計画法(1919年)に基づく都市整備が開始されます。
その後戦前には敦賀と周辺4か村、
武生、大野、勝山、小浜、芦原、金津、本郷、森田と9地域が計画区域に指定されました。
福井市は、その後1945年(昭和20)の戦災により、市街地の大半を焼失します。
そして、この戦災復興のため、戦前の都市計画を修正した「福井戦災復興土地区画整理事業」が
実施されることになりました。
しかし、その事業が軌道に乗りはじめた48年6月、今度は福井震災により町はふたたび壊滅的な被害を受けました。
2度の災禍にもめげず「福井震災復旧土地区画整理事業」が実施され、
福井市街は全国的にも知られるめざましい復興をとげることになります。


風致地区
風致地区とは、自然的景観や史蹟名勝などを含む環境を保全するために指定される地区のことで、規則(現在では県や市町村の条例)で竹木の伐採や建築行為などが制限されます。福井県では、戦前の都市計画の中で、1938年(昭和13)に福井城址、足羽山、足羽川が風致地区に指定され、以来、現在もこの3地域は風致地区に指定されています。
この資料は、風致地区指定について、都市計画福井地方委員会で諮られた際の資料で、3地域の歴史や景観が当時の写真11枚とともにまとめられています。

「県令及告示の件伺」329-21
『自昭和3年至昭和15年庶務雑件(都市計画福井地方委員会)』
1943年(昭和18) 経済部土木課




風致地区指定の公告を決定する公文書
1938年(昭和13)4月23日に3地域を風致地区に指定する内閣認可を得、同年7月5日付での公告を決定した公文書です。

「福井都市計画風致地区決定外2件の公告について」329-21
『自昭和3年至昭和15年庶務雑件(都市計画福井地方委員会)』
1943年(昭和18) 経済部土木課



都市計画図
この都市計画図は1945年(昭和20)の戦災後に策定された福井戦災復興土地区画整理事業のものです。
市街地の外側をめぐる細い赤実線が戦災区域を示しており、町の大半が焼失したことがわかります。また、太い赤矢印は計画されている幹線道路を示しており、現在の福井市街地の原形がこのときに計画されたものであることがわかります。

「風致地区の一部埋立について」963-3
『風致地区内行為許可』1959年(昭和34) 土木部計画課



福井市街変貌の様子を示す地図(明治30年代中頃)
廃藩後、城下町福井を大きく変貌させたのは、城の濠の埋め立てと、足羽川の改修工事でした。この図は明治30年代中頃の足羽川改修に関するもので、河川敷となる堤外地を掘り下げて、南岸に新堤防を築き、余った土で南岸の旧放水路(遊水地)を埋め立てて住宅地としたことがわかります。また仮橋によって北岸にも土が運ばれ、福井駅前の旧城濠が埋め立てられていく様子も示しています。

野理 五家文書J0503-00035

福井市街変貌の様子を示す地図(明治30年代中頃)

廃藩後、城下町福井を大きく変貌させたのは、城の濠の埋め立てと、足羽川の改修工事でした。この図は明治30年代中頃の足羽川改修に関するもので、河川敷となる堤外地を掘り下げて、南岸に新堤防を築き、余った土で南岸の旧放水路(遊水地)を埋め立てて住宅地としたことがわかります。また仮橋によって北岸にも土が運ばれ、福井駅前の旧城濠が埋め立てられていく様子も示しています。

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