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 第六章 「地方の時代」の諸問題
  第二節 諸産業の展開
    四 石油危機下の工業と減量経営
      経営管理技法の普及
 こうした労使協調路線を背景に「全員参画」による生産性向上への取組みが進んだが、各職場を最小単位とする小集団による品質管理運動であるTQC(Total Quality Control)が県下企業で急速に普及したのもこの時期であった。ここでは福井県における戦後の経営管理技法の定着過程を簡単に眺めたうえで、TQCの普及状況をみてみよう。
 戦後の経済復興過程で日本は、アメリカから先進的な生産技術とともに職務分析・原価管理法・経営組織・OR(オペレーション・リサーチ)などのアメリカで開発された各種の経営管理技法の積極的な導入をはかった。なかでも工場経営の近代化を進めるうえで当初より積極的に行政、民間団体により普及活動が進められたのは、現場の管理職・監督者の作業者管理能力および品質管理能力の育成であった。
 まず、一九五〇年(昭和二五)一〇月より公共職業安定所の職業補導事業の一環として行われたTWI(Training within Industry)は、「仕事の教え方」「改善の仕方」「人の扱い方」などに関して県および事業場に配置された職場補導員が指導を行う定型訓練であった。福井県経営者協会の協力もあり、五一年度末までにTWI実施事業場のべ四三件、実施回数一〇七回、受講者数一〇五九人を数えた。ただし、そのうち従業員五〇〇人以上の企業一一社で九五回、九四八人を占めており、少数の大企業が先行的に実施したものであった(『職業安定年報』)。また各社とも「仕事の教え方」コースから出発したが、五二年ころから「改善の仕方」コースの導入も広がり、これに関連して福井精練加工では従業員から職場内改善について提案を募集する改善提案制度が発足した(『セーレン百年史』)。
 一方、品質管理(QC)手法については四九年に日本科学技術連盟(日科技連)が統計的品質管理(SQC)の講座を開設し、全国の大企業への普及をはかった。福井県では信越化学工業が当初からQCの導入に積極的であったため、五一年に武生工場に管理室が設けられ、QC手法の習得と指導者育成が進められた(『信越化学工業社史』)。また福井精練加工では、旭化成、帝人のチョップ織物の染色加工のための生機検査の開始により品質管理の重要性を認識し、原糸メーカー・機業とともに製品の品質管理に関する研究を進める一方、五四年七月、本社工場に管理係を設置、現場の問題点・検査成績などがQCレポートとして毎月発行された(『セーレン百年史』)。
 一九六〇年代に入ると、とりわけ系列化の進んだ有力機業では製品の品質管理、作業の標準化等の要請が強まり、これに関連して原糸メーカーや系列内の同業他社から各種の経営管理技法の摂取をはかった。また県経営者協会も、六一年より月例の企画調査研究会を開催し、県内の主要企業の企画・調査等の担当者が参集し、経営計画や経営分析、ORなどの経営管理技法について、経験交流・企業視察・テキストの輪読などを行いノウハウの獲得につとめた(木村亮「合繊転換期の産地織物経営」)。こうしたかたちで六〇年代には、主要企業では原価計算制度や予算制度の確立、経営計画の作成や管理規程の制定、作業組織における集団分業制の採用など、いわゆる近代的な経営管理方法の実践が進んだのである。
 しかし、六三年に福井県経済調査協会が実施した経営近代化の現状に関する調査(回答企業一六一社)では、経営者自身の意識は別として現実には生産・販売・購買・労務・財務の各部門における近代的管理の実施は遅れていた。たとえば監督者訓練は七〇%近くの企業で実施されているものの計画的・組織的には実施されていないこと、統計的品質管理という言葉はさかんに使われているものの完全に実施されているのは三一%にすぎないことなどが指摘されている(資12下 二六九)。このように経営の近代化の進捗が遅れた理由の一つには、福井県の労働力構造が関係していると思われる。この時期にかたちを整えはじめた日本の雇用慣行は、長期勤続と年功制を前提とする正規男子従業員の雇用慣行に、短期勤続と早期退職を実質上制度化した女子従業員の雇用慣行を接ぎ木したものと考えられるが、とりわけ福井県は主要産業である繊維産業を中心に、戦前から一貫して後者の労働力への依存が強かった。また高卒女子の事務労働への参入が増加しても、女子の雇用慣行は変わらなかった。したがって、五八年二月に九段階の社員等級制度を導入して職員・工員の区別を廃止した福井精練加工のような先駆的な試みは別として(社内報『セイレン』一二号)、県内企業は従業員に対する福利厚生面での配慮は比較的熱心であったものの、本格的な経営の近代化をはかろうとするインセンティヴが弱かったのである。」
 統計的品質管理という単なる管理手法の導入にとどまらずTQCと呼ばれる全社的な小集団による品質管理運動の展開を日科技連が提唱したのは六二年であり、全国の主要な企業でTQCの導入が進んだが右のような事情を背景に県下企業における導入は相対的に遅れた。六四年一〇月にQCサークル北陸支部が結成され、信越化学武生工場が幹事会社として参加し、ついで六七年に福井精練加工、勝山兄弟が参加、また六六年一一月に操業を開始した福井松下電器が親会社のQC運動を導入し、六九年に幹事会社となった。北陸支部では七四年に県を単位とする代表幹事制を実施したが、七〇年代には幹事会社は一社(若狭松下電器)ふえただけであった。第一次石油危機後しばらくは、減量経営による職制変更、配置転換などが続き、TQC運動も停滞の憂き目をみたのである。しかし、七〇年代後半に主要企業で正規従業員も含めた雇用調整が行われ、生産体制の刷新が叫ばれるなかで、このTQC運動は生産性向上の梃子として急速に推進されることになった。図85にみられるように、八〇年代に入り幹事会社となる企業があいつぎ、また八〇年代に賛助会員会社制度が設けられるとともに、本部に登録されたQCサークル数もうなぎのぼりにふえ、八七年には三〇〇〇件をこえた。QCサークルは製造部門のみならず営業・事務部門でも設立が進み、また女性対象の活動の強化も進められ、八六年より県下でQCサークル女性大会も開催されることになった(『QCサークル北陸支部三〇周年』)。
図85 福井県のQCサークルの展開(1964〜93年)

図85 福井県のQCサークルの展開(1964〜93年)




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