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 第六章 「地方の時代」の諸問題
  第二節 諸産業の展開
    三 合繊織物業の展開
      ウォータージェットブームとその終焉
 一九七八年(昭和五三)一一月、アメリカがドル防衛策を発表、景気の引締めに乗りだすと、円の対ドル相場は円安に転じた。これを機に福井産地の景気上昇に拍車がかかり、ウォータージェットルームの新増設を中心とした設備投資ブームが出現した。第一次石油危機以来、産地の機業は、合理化の徹底と労働強化による不況の克服を追及していた。七〇年の平均従業員数三万一〇〇〇人は八〇年の一万七八〇〇人と急速に削減され、また一人あたり実働織機台数は同期に二・四九台から四・〇二台に増加していた(表168)。そして、こうした生産性の改善に決定的な意味をもったのは、すでに六〇年代末に有力機業で導入されていたウォータージェットルームの設置であった。七六年から七八年には五〇〇〇台強の水準を推移していた県下のウォータージェット設置台数は、この円安を契機に急増し、八二年には一万台をこえ、八五年には一万四〇〇〇台に到達した。メーカー・商社の転換資金援助が進められたこともさることながら、織機自体にも低価格の普及品が現われ、中小機業の導入が容易になっ・・・たこともこの急増の一因であった。また量産品を主力とするウォータージェットにとどまらず、天然繊維指向の高まりにより天然繊維との複合織物への需要が増加し、これに対応するためエアジェットルームやレピア織機の導入もめだつようになった(表169)(国民金融公庫調査部『日本の中小繊維工業』)。

表169 広幅織機機種別設置台数(1977〜87年)

表169 広幅織機機種別設置台数(1977〜87年)

 さきの図82によりポリエステル織物工賃の推移をみてみよう。七七年まではジョーゼットに代表される強撚厚手織物のみが好調であったが、七八年はじめから強含みに推移しはじめた量産品のタフタ・ポンジーの工賃は円安への転換を契機に急騰した。さらに七九年に入ると加工糸織物の工賃も上がり、全面的な採算状況の好転が生じた。イラン革命勃発後の石油価格の急騰(いわゆる第二次石油危機)と八〇年三月のアメリカのインフレの克服を意図した金融引締めの強化により、世界的な同時不況が発生すると、内需の停滞と円高への反転、さらにウォータージェットの急増による産地の供給増を背景として、八〇年秋には量産品の値崩れが生じ、工賃も急落を示した。しかしながら八一年はじめからの円安基調と産油国の外貨稼得に支えられて、差別化商品を中心に輸出が伸び、産地のウォータージェットの導入意欲は衰えをみせなかった。
 八二年に入ってようやく産地の景気にかげりが生じた。ジョーゼット・アムンゼンなどの差別化商品の工賃も急落、三月には産元大手商社福三商事が負債総額八五億円を抱えて自己破産を申し立て、「ジェット不況」と呼ばれる不況の様相を呈した。供給面では四月から九月の間に北陸三県であいついで実施された二割操短、需要面ではアメリカの輸入拡大を契機とする世界的な景気回復により産地は一時活況を取り戻すものの、八四年春からふたたび工賃は急落した。この不況はジョーゼット・デシンなど撚糸物を中心とする差別化商品がのきなみ打撃をうけるという、これまでの量産品不況とは明らかに異なった性格の不況であった。原油価格の暴落により最大市場の中東の需要が激減するとともに、日本国内を含む先進国市場で天然繊維嗜好が一段と強まり、量・質ともに市場の制約がきびしくなったこととあわせて、韓国・台湾など後発国のウォータージェットの急速な導入と低賃金の利用により、産地の価格競争力の低下が、量産品はもとより差別化商品にまでおよんだことが今次の不況の背景であった(『福井経済』82・3、6、84・5、6)。以後、合繊長繊維織物産地福井は、きびしい後退戦を強いられることになるのである。



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