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 第六章 「地方の時代」の諸問題
  第二節 諸産業の展開
    三 合繊織物業の展開
      インフレの昂進と無籍織機問題
 一九七一年(昭和四六)八月以降、アメリカはドルの金交換という国際収支悪化の歯止めを解消し、大規模な景気刺激政策に転換した。このアメリカのインフレ的景気拡張は、各国に過剰流動性をもたらし世界的な同時インフレをもたらした。すでに各国で進行していた物価と賃金のスパイラル的な上昇と原油・木材・小麦などの一次産品価格の騰貴に拍車がかかり、第一次石油危機に帰結するインフレ的景気拡張の最終局面に突入したのであった。日本国内でも七二年七月成立の田中角栄内閣による「日本列島改造論」に象徴される総需要刺激政策が展開され、地価・株価の急騰、物価・賃金の騰貴(図78)が顕著になった。
図78 物価・賃金(1972〜75年)

図78 物価・賃金(1972〜75年)

 合繊織物についてみると、メーカーサイドでは、自主操短の強化による糸価の回復が市況の先行き見通しを好転させ、また産地サイドでは、対米輸出規制にともない発足した日本合繊糸布輸出会社の滞貨買上げや金融緩和・内需拡大、アジア・中東地域への織物輸出の伸長により好調な売行きを示しはじめ、七二年から各種織物工賃の引上げがはじまった。ポリエステル加工糸織物(W幅アムンゼン一〇〇デニール×一〇〇デニール)でみると、七一年七月〜九月物の平均工賃一疋二〇〇〇円から七二年四月〜六月物二五〇〇円、七三年四月〜六月物三〇〇〇円と、急速に引き上げられた(図79)。
図79 主要織物工賃(1971〜75年)

図79 主要織物工賃(1971〜75年)

 しかしながら他方では、七三年春から賃金・物価の高騰も決定的となった。七三年春闘では県内企業平均賃上げ妥結額が一万三六七九円と初の五桁の大台に乗り、また需給の逼迫した原料商品だけでなく、全般的な買占め・売惜しみ傾向が強まり、投機的な物価上昇がめだつようになった。四月に五%、五月に五・五%、七月に六%、八月に七%と、あいついで公定歩合が引き上げられ、織物集散地では需要の頭打ちのきざしが現われた。こうしたなかで一〇月、第四次中東戦争が勃発、石油輸出国機構(OPEC)加盟ペルシャ湾岸六か国の原油価格二一%引上げとアラブ石油輸出国機構(OAPEC)一〇か国の石油減産措置、石油メジャーの原油価格三〇%引上げ通告が発せられ、第一次石油危機がはじまった。一二月には湾岸六か国の原油公示価格の約二倍引上げとその他OPEC八か国の追随が発表され、わが国への原油輸入価格は石油危機前の約四倍に跳ね上がったのである。
 ところで、対米輸出規制の補償措置である織機の大量買上げにもかかわらず、その後の好況により全国的に無籍織機が大量に導入される事態となった。五六年の繊維旧法以来、通産省の中小繊維産業に対する施策の中心は紡織機の買上げによる過剰設備処理にあったが、景気回復のたびに織機の新増設がくり返され、事実上過剰設備の温存が容認される結果となっていた。しかし、今次の買上げ措置は、いわば対米関係の尻ぬぐいという政治的色彩の濃い性格のもので、大蔵省が通産省・自民党に押し切られるかたちで行われただけに、大蔵省の批判をかわすためにも無籍織機の放置はもはや許されなかった。
 七二年四月、通産省は無籍織機を仮登録させて認知を行い、その後の増設を認めないという旨の妥協策を打ち出し、各産地に対して無籍織機の実態調査を行うよう指示した。その結果、表167のような、予想を上回る無籍織機の存在が明るみに出された。福井産地では一万一〇二〇台にのぼり、うち八〇九六台が組合員、二九二四台が非組合員所有のものであった。このなかには有籍化手数料の納入や有籍化を約して保証金の拠出がなされている織機も含まれており、いわゆる純無籍は三六七九台であったが、前年の調査ではこれは八七七台とされており、純無籍織機の多くが通産省の認知を当て込んだ駆込み増設とみられた。

表167 全国の無籍織機台数 

表167 全国の無籍織機台数 
 通産省は当初、実態調査で判明した無籍織機の凍結と一部即時廃棄、調査以降の無籍に対しては操業停止命令や告発による強硬措置を講ずる予定であったが、無籍を多数抱える産地や零細業者の抵抗も大きかった。七三年四月に自民党繊維族による議員立法法案として提出されて八月に成立した「織機登録特例法」では、七二年一〇月までに設置が明らかとなった無籍織機の四分の三を無条件で登録し、残り四分の一については、破砕するか、もしくは一台あたり二〇万円を納付して有籍化することとし、零細業者に納付金の軽減措置を認めた。同法の成立にともない、ただちに有籍化の届出が開始され、七三年一二月はじめの県下の届出織機台数は一万五五六五台となった(『日刊繊維情報』73・4・19、7・12、8・26、12・4)。結局、政府は、無籍織機の存在を明るみに出すことにより、織機買上げ以前を上回る過剰な織機台数を公認したのである。こうして、七四年の県下の広幅織機台数は戦後最高の八万九二二五台を記録するにいたった(『福井県繊維産業生産の動き』)。



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