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 第六章 「地方の時代」の諸問題
  第二節 諸産業の展開
    二 総合農政下の農業
      機械化・圃場整備の進展と稲作労働の変化
 こうした品質改善とならんで、稲作の近代化も一九七〇年代以降急速に進んだ。図77は福井県における農業機械普及の概況を示したものだが、六〇年代に小型の耕耘機や動力防除機の普及をみた後、七〇年代に入ると、あらたに、乾燥機、バインダー・コンバイン、田植機が急速に普及している。より細かくみると、一九七五年(昭和五〇)ころを境に、耕耘機がトラクターに、バインダーが自脱型のコンバインに置き換わり、さらに、八〇年代に入ると、トラクター、コンバイン、田植機とも、小型から中型への買換えが進み、高性能化・大型化が進んでいる(『福井農林水産統計年報』)。また、稲作農家一〇〇戸あたりの普及台数では、七五年から八五年にかけて、トラクター・耕耘機が八一台から九七台へ、田植機が一六台から五八台へ、コンバインが一八台から四六台へと普及が一段と進んだ。なお、八〇年代における乾燥機の減少はカントリーエレベーターの利用増加によるものであり、また、八五年から九〇年にかけての各種機械の台数減少は請負耕作の進展などによる。
図77 農業機械の普及(1960〜90年)

図77 農業機械の普及(1960〜90年)

 かくして、七〇年代後半には、春作業から秋作業までをとおして農業機械を利用するいわゆる「稲作機械化一貫体系」が福井県において確立することになったが、その確立と展開に大きく寄与したのは、これら農業機械の普及とともに、圃場整備の急速な進展である。福井県における圃場整備は六〇年代に一定の進展をみていたが、七〇年代から八〇年代にかけて、それはよりいっそう進んだ。たとえば、三〇アール以上の区画(一部二〇アール区画を含む)整備では、六〇年代末に八二〇〇ヘクタール程度(水田面積の一六%)であったものが、七〇年代末には二万五二五〇ヘクタール(五八・〇%)、さらに、八〇年代末には三万四二五ヘクタール(八〇・九%)へと大きく進捗し全国最高水準に達した(「福井県農村整備課資料」)。また、これとあわせて、用排水分離、農道整備等も進み、機械化に適した圃場が大きく増大した。
 こうした機械化と圃場整備の進展は、稲作における農業労働の性格を大きく変えた。表163は六〇年以降の稲作の作業別労働時間の推移を示したものだが、この間を通じて投下総労働時間が大幅に減少している。とくに、七〇年代に入って、耕起・整地、田植、除草、稲刈り・稲こき等、従来の手作業が機械や農薬の利用に置き換えられた作業での減少がもっとも著しく、稲作の省力化に大きく貢献した。しかし、種子予措、苗代、追肥、かん排水管理などの作業では、七〇年代から八〇年代を通じて大きな減少はみられない。これは、これらの作業が機械に置き換え難いことにもよるが、それ以上に、これらが収量や品質に直結する生物管理労働であって、前述のような良質米生産と一定の収量を維持しようとする場合おろそかにできない性格を有することによるといえよう(細谷昂ほか『農民生活における個と集団』)。こうして、福井県の稲作は、きびしい肉体労働を要するかつてのあり方から、機械労働と生物管理労働とを内実とするものへとその姿を大きく変えることになった。

表163 稲作作業種別労働時間

表163 稲作作業種別労働時間



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