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 第六章 「地方の時代」の諸問題
  第二節 諸産業の展開
    一 「地方の時代」の福井県経済
      就業構造
 以上みてきたような産業構造の変化は、県内の就業構造にも大きな変化をもたらした。図73は、国勢調査における就業者の推移について、福井・坂井・丹南、奥越、嶺南の三地域に区分して示したものである。この国勢調査における就業者は、調査週間中に収入になる仕事を少しでもした人、および休業して三〇日未満の人、もしくは三〇日以上の休業でも調査週間内に給与等を得た人がその対象となっている。
図73 産業別就業者数(県内地域別)

図73 産業別就業者数(県内地域別)
 まず、福井・坂井・丹南地域は、県全体の就業者の七割以上を占めている。注目されるのは女性就労者の推移で、一九五〇、六〇年代には全体の就業者数が急速に伸びるなかで、農林水産・鉱業の縮小と製造業、商業・金融・サービス業の伸びが著しい。さらに七〇、八〇年代には全体の伸びが鈍化し、製造業も同様の動きをみせるのに対して、商業・金融・サービス業への就業者の比率が製造業を上回り、農林水産・鉱業部門からこの部門への転換が急速に進んでいる。また人数は少ないが、建設業に就労する人数もこの時期に急速に伸びている。一方、男性は戦後直後から商業・金融・サービス業への就業者の比率が製造業を上回るとともに、建設業およびその他の産業の比率が高い。そして七〇年代以降はやはり商業・金融・サービス業および建設業の比重が高くなっている。
 福井・坂井・丹南以外の二地域もほぼ同様の傾向が指摘できるので、それぞれの地域に特徴的な変化だけ指摘しておこう。奥越地域は、男女とも農林水産・鉱業への就労の比重が全般的に高いがその減少も大きく、全体の就業者数の減少の主要な原因となっている。注目されるのは女性の製造業への就労比率が高いことである。一九八〇年(昭和五五)でもその数は商業・金融・サービス業を上回っており、九〇年になってようやくその比重が逆転している。これは、この地域の製造業が、繊維工業、電気機械工業など、低賃金の女性労働力への依存を中心としたものであったことを示している。一方、嶺南地域では、六〇年代になって男女ともに製造業への就業者が伸びるものの、全般的に製造業の占める比重は低い。ここで注目されるのは、男性の建設業への就労が七〇、八〇年代に急速に伸びることである。この伸びの原因は、公共土木事業の伸びもさることながら、原電建設に関連する労働力需要によるものであることはいうまでもない。なお、嶺南では男性のその他産業への就労比率が全体に高いが、これは主として敦賀市における運輸・通信関連部門への就労である。
 ところで、戦前以来の福井県の就業構造の大きな特色は女性の労働力率が高いことである(図74)が、女性の農外就労先は繊維工業から商業・サービス業、電気機械などの下請部品工業、さらにおそらくは臨時の雇用を中心とする建設業へと、低賃金業種を中心に推移している。こうした低賃金部門への女性の就労の多さは、いうまでもなく家計を支えるうえでの女性の補完的な役割を示唆している。八〇年の国勢調査報告により、福井県の共働き世帯比率(共働き世帯数/夫婦のいる普通世帯数)は六八・九%、全国第一位であることが発表され、福井県の世帯状況を象徴する指標として県民の間に広く記憶されることになった。これは、世帯主とともに世帯主以外の家族が現金収入を得るために就労し生計を維持するという、いわゆる家族多就労構造が福井県に定着していることを如実に示すものであった。
図74 男女別労働力率の推移(1920〜90年)

図74 男女別労働力率の推移(1920〜90年)




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