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 第五章 転換期の福井県
   第三節 変貌する諸産業
    三 漁業・漁村の新しい動き
      育てる漁業の展開
 一九六〇年代以降、福井県漁業の遠洋漁業化が進行する一方で、沿岸漁業の構造改善が推進された。その一つが、魚介類・藻類などの増殖事業の展開である。魚を集めるための計画的な魚礁づくりは、一九五〇年代からはじまった。当初は廃船を利用した魚礁づくりが中心であったが、一九五二年度(昭和二七)から耐久性のあるコンクリートブロックを用いての本格的な人工魚礁の造成が行われるようになった。八一年度までに各漁協が若狭湾一帯に敷設した、高さ〇・八から一・五メートルの各種コンクリートブロックは三万七〇〇〇個あまりにのぼっている。また県営の大型コンクリートブロック魚礁は、六四年度に越前町沖合に設置されたのを皮切りに、八一年度までに一万三六〇〇基あまりが設置された(『若越水産』第二四六号)。のり・わかめ・ウニ・アワビなどの増殖をめざす投石事業も各地で実施された。
写真100 人工漁礁

写真100 人工漁礁

 第二に養殖事業が嶺南地方を中心として、県内各地で営まれるようになったことである。若狭湾の内湾に面した小浜市甲ケ崎・大飯町犬見・高浜町和田では、真珠養殖の企業化に成功し六七年の福井県真珠水揚高は三億円に達するまでになった。小浜湾に面した小浜市仏谷で三〇年に開始されたカキ養殖は、五〇年代後半には小浜市甲ケ崎・西津でも取り組まれるようになり、漁民に冬場の貴重な現金収入をもたらすことになった。また、若狭湾沿岸の小浜市仏谷・高浜町和田・三方町常神・美浜町日向などでは、フグ・ブリ(ハマチ)・タイの養殖事業も行われるようになった(『福井新聞』58・4・7、7・5)。「とる漁業」の不振を「育てる漁業」でカバーする沿岸漁業対策は着実に成功をおさめていき、六五年以降には、わかめ・のり・ホタテガイの養殖も行われるようになった。
 行政当局の主導によって「ふ化―稚魚の育成―放流」システムを確立し、海の漁獲資源の増大化をめざす取組みが本格的に実践されるようになるのは七〇年代以降である。七二年九月、敦賀市浦底に県水産試験場の新庁舎が完成し、栽培漁業技術の開発の中心的役割を担うことになった。また七三年二月、国が施設建設費の四分の三を負担する福井県栽培漁業センターの設置が決定し、その設置場所として小浜市堅海が選ばれた。同センター建設には約一〇億円が費やされ、七九年七月全施設の完成をみた。同センターでは、ガザミ(ワタリガニ)・アワビ・クルマエビ・マダイの種苗生産が取り組まれた。さらに八三年一一月、国営栽培漁業センター若狭湾事業場小浜施設が、県栽培漁業センターに隣接する小浜市泊に建設された。国営栽培漁業センターは、六三年に瀬戸内海に設置されて以来全国各地に開設され、若狭湾事業場小浜施設は、日本海側では石川県能登島事業場につぐ二番目の施設となった。小浜施設は日本栽培漁業協会が運営にあたり、日本海西部の冷水系魚類であるヤナギムシガレイ(若狭ガレイ)・ズワイガニ・アカガレイ・トヤマエビ(ダルマエビ)などの種苗生産の技術開発を任務とした(『若越水産』第二五八号)。



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