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 第五章 転換期の福井県
   第二節 県民生活の変容
    二 三八豪雪と四〇・九風水害
      四〇・九風水害
 福井行政監察局や福井県経済団体協議会の報告書には、(1)除雪体制の立遅れ、(2)指揮・命令系統の混乱による、市町村・国鉄・警察などの連絡協調体制の不備、(3)機械力不足による除雪能力の不足、(4)自衛隊出動要請の遅れ、などのきびしい批判が記され、県にはより総合的な除雪対策が望まれた(『福井新聞』63・2・21、福井県経済団体協議会「38・1豪雪と今後の対策」)。その後、これらの反省に立ち、消雪パイプの敷設、除雪機械力の増強、主要交通路の集中的な除雪などの対策が講じられ、八一年の「五六豪雪」に生かされた点も数多い(近畿地方建設局福井工事事務所『五六豪雪の記録』)。四月の中旬には平野部・山間部ともに消雪し、五月八日に県対策本部は解散した。なお、三月二二日の閣議により、福井県を含む二三府県が激じん災害に指定された(『福井新聞』63・3・23)。

表124 「40・9風水害」による福井県の被害

表124 「40・9風水害」による福井県の被害
 一九六〇年代に福井県を襲った大災害として今一つ特筆すべきものがある。一九六五年(昭和四〇)九月に発生した、「四〇・九三大風水害」がそれである。九月一〇日から一八日までのわずか九日間に二つの台風と集中豪雨があいついで襲来し、福井県下一円に甚大な被害をもたらした。その概要は、表124に示すとおりである。
 九月一〇日の正午ころから、福井県下全域は台風二三号の暴風雨圏内に入った。この台風は、五〇年九月のジェーン台風とほぼ同じ進路をとり、最大瞬間風速四二・五メートルを記録する「風台風」として猛威をふるった。大野市の富田小学校や鯖江市長泉寺町の西福寺など突風による家屋の倒壊が続出したほか、収穫を目前にした中・晩稲の約七〇%が倒伏するなど農業関係の被害が著しかった。また電線の切断による停電があいつぎ、交通機関ものきなみ混乱した(『福井新聞』65・9・11)。
 つづいて九月一四日夜から一五日にかけて、奥越地方を局地的な集中豪雨が襲った。とくに大野郡西谷村本戸では、一三日から三日間の総雨量が一〇四四ミリメートルに達する記録的豪雨となり、これにより引き起こされた雲川・笹生川の増水と氾濫は山地崩落とあいまって、中島・上笹又をはじめ西谷村全域に壊滅的被害をもたらした。一方、下流の真名川、清滝川、九頭竜川などでも各所で堤防が決壊し、大野市、勝山市の低地は泥の海と化し住宅の流出や浸水があいついだ。国鉄越美北線や京福電鉄大野線の被害も著しく、鉄橋や線路の道床が流失した(『福井新聞』65・9・15、16)。県は九月一四日夜に災害対策本部を設け、被害の著しい奥越地方への対応のため大野土木出張所内に奥越地方本部を設置した。また、陸上・航空自衛隊に災害派遣を要請し、大野郡西谷村や和泉村などの孤立村に対してヘリコプターによる救助活動を開始した。
 ところが本格的な救助・復旧作業にかかるまもなく、九月一七日夕方より台風二四号が福井県に接近し、嶺南地方を中心にまたしても被害が生じた。北川、南川、佐分利川などの本流、支流が氾濫決壊し小浜市、大飯郡大飯町、高浜町、三方郡三方町などで浸水・家屋倒壊があいついだ。国道二七号も、三方町三方や小浜市平野で土砂崩れが生じ通行不能に陥った。また、今立郡今立町大滝では一〇人が生埋めとなる山崩れがおこるなど人的被害も著しかった(『福井新聞』65・9・18、19)。
 たてつづけにおこった三つの災害により、県下一四市町村が災害救助法の適用をうけ、一八六か所の避難所に六万一六〇八人が収容されるという事態にいたった。自衛隊や地元消防団、青年団、婦人会などの尽力により応急復旧と救助活動が行われ、県も北知事や県議会議長を中心とする陳情団を組織し、「県、市町村に対する財政金融の特別措置」「被災者救助の諸対策の即時実施」などを関係各省庁に強く訴えた(「四〇・九 三大風水害陳情書」)。



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