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 第四章 高度産業社会への胎動
   第三節 苦悩する諸産業
     二 人絹不況と系列化
      人絹不況下の福井産地の生産・流通
 福井産地の機業経営に目を転じよう。表112は福井県絹人絹織物業の推移であるが、一九五〇年代前半には従業者数の停滞にもかかわらず、実働織機台数は一九五七年(昭和三二)にいたるまで着実にふえており、したがって数量ベースでの生産高も一貫して増加している。五五年の機業の規模別構成について示したものが表113であるが、織機台数一〜一〇台の工場が約四割、一一〜二〇台を含めると、いわゆる零細経営が七割を占めている。前述の『報告書』の調査によれば、一〜一〇台規模の経営では調査五三工場中四一件が他業兼業(うち農業が三四件で農業収入が過半のものは一一件)である。一一〜二〇台規模では調査四八工場中二〇件が他業兼業(うち農業が一六件で農業収入が過半のものは五件)となっている。二一台以上の規模でも一〇〇台程度までは半数ほどの農業兼業を抱えているが、収入の中心は機業にある。

表112 福井県の絹・人絹織物業(1951〜60年)

表112 福井県の絹・人絹織物業(1951〜60年)


表113 規模別工場数および織機台数(1955年)

表113 規模別工場数および織機台数(1955年)
 零細経営は農業兼業による所得の確保と家内労働利用によるコスト削減により、景気動向に対して弾力的に応じえたため、この期以降も頑強に生き残っていった。これに対して、雇用労働に依存する中小規模経営の採算は著しく悪化した。『報告書』では、採算悪化の原因について、(1)原糸価格の変動が激しいため仕事量の変動が大きい、(2)準備機と織機の不整合による生産の遅滞が生じる、(3)織機の老朽化や性能のばらつき、整備不良により品質の均一化が不可能な状態にある、など生産の非効率がとりわけ四〇台以下の経営において顕著にみられることを指摘している。これらの層では金融機関以外からの借入への依存が多く、また売掛の場合も不利な条件で契約しているので、財務面における困難も大きかった(『昭和二十九年五月福井県繊維工業産地診断報告書』、『福井繊維情報』55・7・2)。
 他方、一〇〇台以上の少数の大機業においても、五一年後半、五三年後半と二度にわたる集散地および産元商社の連鎖倒産の影響をうけて、債権の焦げつきや手形による資金繰りの困難が発生し、操業停止や従業員の大量解雇にいたるところが続出した。ただしこれらの経営については、金融機関や人絹糸メーカー・特約商社などの支援を仰ぐことにより経営の刷新をはかるものが多かった(木村亮「合繊転換期の産地織物経営」『福井大学教育学部紀要(社会科学)』49)。
 つぎに原糸および織物の流通についてみよう。原糸の流通については、すでに大戦前より、帝国人絹と広撚、日本レイヨンと酒伊商事といった人絹糸メーカーと産元商社の特約取引が形成されていたが、戦後復興の過程でこうした特約関係が拡張し、とりわけ丸紅、伊藤忠、蝶理、日綿などの県外大手貿易商社の進出が著しかった。この点は岸商事、一村産業、安井商店などの産元商社がメーカーと特約関係を形成しつつ原糸取引の主要な部分を把握した石川産地とは違っていた。
 これらの特約商社はそれぞれ特定メーカーと重点的な取引を行う一方、他の複数のメーカーとの取引も行っており、確実に原糸を入手することができた。機業への原糸販売については、産地特約商社の場合には戦前から傘下に多数の機屋を抱えて特定メーカー糸を分配するしくみが成立していたが、県外商社についてもしだいに固定的な販売先が形成される傾向にあった。そして、のちにみるように、五二年以降急速に進行する人絹糸メーカー・特約商社による賃織契約の拡大は、しだいに系列の形成をもたらすことになる。
 他方、特約商社の数は全国でも七〇社に満たないといわれ、福井産地でも二〇〇をこえるとされていた原糸取扱商社の多くはこうした特約関係を持たず、特約商社から直接、間接に原糸を入手し、これを不特定の機業に販売するか、もしくは他の商社に転売した。また原糸の恒常的な不足のなかで特約による流通部分が拡大し人絹糸の自由取引が縮小したため、従来の原糸仲買ブローカーの地位は著しく低下した。五五年一〇月には約三〇年の歴史を有するブローカー団体である仲盛会も解散するにいたっている(資12下 二五三)。
写真82 福井市内の繊維商社

写真82 福井市内の繊維商社

 機業の織物販売については、従来は、産元特約商社傘下の機業をのぞくと、神戸・横浜といった集散地の有力商社を含む織物専門商社に対する売渡しが一般的であった。しかしながら、繊維不況は青木実業・油井(五三年八月)、岩田商事(五四年六月)などの集散地商社の倒産を引き起こし、これが産元織物商社へ波及することでこれらの伝統的織物商社の経営は大きな打撃をこうむった。集散地商社の福井支店も閉鎖するところが続出した。これに対して、資金力と人絹糸メーカーとの特約関係という利点を背景に、織物流通の側面においてもさきの県外特約商社の地位が急速に上昇していった。このような、原糸・織物流通の両面におけるメーカー・特約商社による固定的取引慣行の形成過程を、一般に「系列化」と呼び、これは朝鮮戦争ブームの崩壊後に進行する。



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