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 第四章 高度産業社会への胎動
   第二節 地域振興と県民生活
    一 産業振興と水資源開発
      電気事業再編成と福井県
 戦後の電気事業は、当初、日本発送電(日発)が主要発電所・送電幹線・主要変電所を所有して発送電をほぼ一元的に運営し、九配電会社が地域ごとに配電を独占するという、戦時期の国家管理体制が維持された。しかし、一九四八年(昭和二三)二月、日発および九配電会社は「過度経済力集中排除法」の指定をうけ、電気事業は分割・再編を余儀なくされた。五〇年四月、総司令部の地域分割民営会社設立の指示にもとづき、政府は地域的な発送配電一貫企業の設立を旨とする政府案を国会に提出したが、国会の反発が強く審議が難航したため、一一月、マッカーサーからの書簡をうけて、政府原案を骨子とする「電気事業再編成令」「公益事業令」がポツダム政令により公布された。そして、公益事業令により発足した公益事業委員会により再編計画が検討され、五一年五月、あらたに全国九地域に、発送配電を一貫して運営する九電力会社が設立された。
 これにともない、福井県は、嶺北および敦賀市を供給区域とする北陸電力と敦賀市をのぞく嶺南を供給区域とする関西電力と、異なる電力会社により電力供給をうけることになった。また、再編成にあたって、発電所の帰属が問題になり、東北・北陸などの電源地帯をもつ会社は属地主義を主張したが、関東・関西などの消費地域では送電系統に沿った帰属(いわゆる潮流主義)を主張した。公益事業委員会では、潮流主義の考え方を基本として一水系の開発を一社に任せて開発すべきという立場に立って帰属問題を決定した。結局、北陸・東海地方の黒部川・木曾川などの各河川の既存設備と未開発電源の水利権などは関西電力の所属となり、福井県の北電供給区域では九頭竜川水系の市荒川発電所(四四年七月竣工)が関西電力所属となった。
 県では、この帰属問題について、国会議員を通じて北電の属地主義を支持すべく動いたが、いかんともし難く、当面、北電の計画中の五条方発電所の優先的工事執行の陳情につとめた(『第三十一回定例福井県議会会議録』)。しかし、県議会でより大きく取り上げられたのは、県内の供給地域が分割されたために異なる電気料金体系が導入されたことであった。当時は火力発電のコストが水力より高く、したがって火力の比重の高い関西電力の電気料金が割高となっており、たとえば再編時の電灯料金は、一キロワット時あたりで北陸電力が一円八九銭、関西電力が三円三三銭と、倍近い格差であった(『福井県経済振興五カ年計画案』)。電力料金は、再編以前に料金を抑制されていたことから各社の経営が悪化し、再編後には五一年八月、五二年五月、五四年一〇月とあいついで、各社いっせいの料金の値上げ改訂が行われた。県は料金改訂反対運動を展開し、このさいに嶺南三郡を北陸電力の供給区域とすることもあわせて主張したが、結局これは果たせなかった。
 ところで、北陸電力では、潮流主義の採用の結果新鋭発電所の多くを所有することができなかったため、管内への電力供給不足が問題となった。そのため積極的に管内で水力発電事業に取り組み、神通川・手取川水系での発電事業とともに、福井県内では、九頭竜川水系の五条方(五三年一月運転開始、認可出力一万七五〇〇キロワット)、富田(五八年九月、一万九二〇〇キロワット)、壁倉(同、二万五六〇〇キロワット)、上打波(五八年一二月、一万二〇〇キロワット)の各発電所を建設した。しかし、供給不足は解消されず割高の他社受電が増加し、また水力発電にともなう建設コストがかさんだため、採算が悪化し、五七年七月には、北陸電力と同じ状況にあった東北電力の二社のみが料金改訂を行った。これを機に、各社が自主性を保持しつつ協力して電力の融通や設備の運用をはかり、広域的・効率的な電気事業運営を行う、いわゆる「広域運営方式」がとられることになったが、北陸電力の採算は好転しなかった。



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