戦後の地方自治制度の確立は、地方自治体を地域住民の民生の安定・向上をはかる直接の責任主体として明確に位置づけた。そして、このことは、戦後の経済復興や災害復旧に関連する多様な名目の公共事業費が大規模に地方に流入したことを契機として、経済格差の是正という地域住民利益の実現をかかげて各自治体が公共土木事業誘致競争を展開するという、いわゆる地方利益欲求の噴出状況を招くことになった。戦後の県民生活の向上とは、具体的には、個々の所得水準の上昇とともに、産業基盤および生活基盤の整備という目に見えた生活環境の変化を意味しており、県の重要施策も一貫して公共土木事業を中心に推移していくのである。
一九五〇年(昭和二五)五月の「国土総合開発法」の施行以降、くり返し設定される開発計画は、こうした地方利益欲求の噴出に一定の方向づけを行うものであった。この国土総合開発法の制定の動きは、全国規模の経済計画を前提に重点的な水資源開発を進めようとする経済安定本部の構想に端を発するが、立法過程において、各府県の開発計画の立案を前提として総花的に全国にばらまかれた特定地域開発計画の実現をめざした建設省が主導権を握ることになった。そして、五一年一二月の全国一九か所の特定地域の指定にはじまり、五二、五三年の拡張予算によりあいついで計画着手の手順をふむことになる多目的ダム建設による水資源開発ブームは、地方の開発要求の集約を背景に建設省・衆議院建設委員会が戦後の公共事業政策における政策決定のイニシアティヴを獲得する契機となったのである(御厨貴「水資源開発と戦後政策決定過程」『年報近代日本研究』8)。
福井県では、国土総合開発法施行にともない、秘書課内に総合開発調査係を設置し、県の開発計画の第一次試案として「福井県総合開発計画調書」を作成し、五〇年八月に政府に提出した。この調書は、県内を越前・奥越・嶺南の三地区に分けて各地区の産業構成、資源賦存状況などについて分析したうえで、農林水産業、鉱工業その他に関する暫定的な地区別開発構想を示したものであった。計画の重点は、小幡治和県政の旗印であった農地乾田化事業と電力開発対策にあり、したがって、この時点における福井県の地方利益の主要な部分が河川開発にあることが如実に表われていた。 |