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 第四章 高度産業社会への胎動
   第一節 県政と行財政整備
    三 町村合併の促進
      新市町村建設促進法の成立
 政府は、一九五六年(昭和三一)二月に「新市町村建設促進法」の法案を国会に提出し、六月二日に成立した。この法律は、町村合併促進法が五六年九月三〇日で失効するため、合併によって生まれた新市町村の今後の建設のあり方についての規定と、さらに町村合併にともなう争論の処理に関する規定、および未合併町村の合併促進に関する規定を内容とするものであった。この法律では、都道府県知事が必要と認めるときは五七年三月三一日までの間に新市町村建設促進審議会に意見を聞き、内閣総理大臣と協議してあらたな合併計画を立てて、関係市町村に対して町村合併の勧告をしなければならないものとされた。これにより、最終的な合併計画が作成され、それぞれ関係町村に勧告が行われた。
 しかし、五八年一二月一日現在でも、未合併町村が全国で五四二町村、福井県で八町村残っていた。政府は同年一二月に新市町村建設促進法の一部改正案を国会に提出し、可決された。これは、勧告をした合併計画を勧告後の実情に即して再検討し、五九年三月三一日までの間に限って合併計画を変更し、合併ブロックを調整することによって合併を完了せしめ、また合併が不可能あるいは不適当と認められるものについては合併勧告を解除して、町村合併を最終的に終結させ、今後の施策の重点を新市町村の建設の促進にむけることをめざしたものである。政府は、これについて五八年一二月一六日に「町村合併最終処理に関する件」を閣議で決定し、各都道府県は未合併町村の処理を遅くとも五九年九月三〇日までの間に行って、町村合併を終了させることになった。
 福井県では、新市町村建設促進法が全面的に施行される五六年一〇月一日に、「福井県新市町村建設促進審議会条例」を制定、審議会を設置し、その委員二名を五六年一〇月二四日に任命した(県条例第四四号)。審議会は一〇月二五日第一回審議会を開き、知事からの未合併町村の合併策定のための諮問をうけて、その答申のための審議方法を決定した(『福井新聞』56・10・25)。また、主として学識経験者から選任された委員六名をもって別に小委員会を組織し、小委員会はさらに二班を編成し未合併町村の現地調査を行うことにした。この時期、審議会は表101のような答申を行った。

表101 福井県新市町村建設促進審議会の答申

表101 福井県新市町村建設促進審議会の答申
 県は答申にもとづき、内閣総理大臣との協議を経てこれらの町村に合併勧告を行った。たとえば丹生郡織田町、宮崎村、白山村の三か町村合併に対しては、織田町と宮崎村は賛成したが、白山村の村長らは隣接する武生市への編入を希望して、三か町村合併に反対していた。白山村の村内では、武生市編入派と三か町村合併派が対立し、三か町村合併派議員へのリコール運動がおきるなど紛糾が続いていた(『福井新聞』57・5・12)。五七年七月四日、県はこの三か町村合併は相当の理由があるものとして、内閣総理大臣に対し関係町村に対する合併勧告の申請を行った(『福井新聞』57・7・6)。中央では、この申請を新市町村建設促進中央審議会小委員会に付託した。小委員会は、資料を収集し関係者から事情を聴取し現地での調査を行った。そして、五七年一二月一四日に三か町村の合併に関し、内閣総理大臣の勧告が行われた(『福井新聞』57・12・15)。五八年一二月前述の「町村合併最終処理に関する件」が閣議決定されると、県は福井県新市町村建設促進審議会に、未合併町村に関する合併計画の再検討の諮問を行った。審議会は五九年一月七日に第一次答申を出して、織田町、宮崎村、白山村については総理大臣勧告にもとづく三か町村合併を行うべきだが、白山村のうち武生市編入の希望の強い地域については、これを武生市に編入するのはやむをえないと述べた。県は、最終的には白山村を武生市に編入することが膠着した合併問題を解決するためにやむをえない方法であると判断し、五九年七月一四日に県議会で全員一致で可決され、八月一日に白山村を武生市に編入した。
写真70 武生市・白山村合併祝賀会 

写真70 武生市・白山村合併祝賀会 

 新市町村建設促進法における、未合併町村の合併促進に関する規定が失効した六一年六月二九日現在では、全国の市町村数は五五六市、一九三五町、九八一村で合計三四七二となり、福井県の市町村数は七市、二一町、一三村で合計四一となった(『地方自治百年史』)。



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