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 第四章 高度産業社会への胎動
   第一節 県政と行財政整備
    二 財政危機と中央依存行財政の確立
      県の行政機構改革
 道府県レベルで再建団体となったものは東北、九州地方に多く、福井県は石川・富山県などと同様に再建団体の申請は行わなかった。福井県の場合は、あいつぐ災害にともなう高率補助金が比較的早期に交付されたこと、表99にみられるように一九五三年度(昭和二八)までは災害復旧債、五三年度以降は土木債を中心に巨額の起債が認められ、他県に比べ相対的に起債への依存が高かったことが、黒字を維持しえた理由であった。

表99 事業目的別起債借入額(1946〜55年度)

表99 事業目的別起債借入額(1946〜55年度)
 しかし、政府の緊縮財政への方針転換により国庫補助が削減され、また地財法施行以降、過去の起債の大きな県に対して起債許可がきびしくなったため、県の資金繰りは困難になった。結局、年中行事のように毎年中央官庁へ頻繁に陳情を行うことにより地方交付税の増額を獲得し、かろうじて赤字への転落を回避することができたのである。このような地方交付税の増額の前提条件は、県が健全財政を維持する姿勢を示すことであり、具体的には徹底した経費節減と人員整理であったことはいうまでもない。五六年二月、羽根知事が断行した県の行政機構改革はこうした事情によるものであった。
 県では五五年八月に県庁内に小委員会を設けて行政機構改革案を検討し、一二月、行政機構改革要綱案を公表するとともに関連条例案を県議会に提出し、県議会では行政機構改革特別委員会を設置して議案審査をこれに付託した。この改革案の骨子は、(1)本庁の八部三六課一室を五部(総務・厚生・経済・農林・土木)一事務局(出納)二九課一室に縮小する、(2)地方事務所を全廃し、高志・坂井・南越・若狭の四か所の県事務所を設置、また大野・敦賀に県税事務所を設置する、(3)県下一〇保健所の七か所への統合、勝山・朝日・粟田部の各土木出張所の廃止など出先機関を大幅に統廃合する、というものであった。これについて、県庁職員組合の人員整理反対運動や、山間へき地を抱える三土木出張所の廃止に対する住民の反対陳情運動などが展開され、議会でも関係議員より反対意見の表明があったものの、出先機関の統廃合については知事の裁量事項とすることにして改革案の大要は議会の承認をみた(結局三土木出張所は存置された)(『県議会史』4)。
 五六年二月の新機構の発足にともない、古参部課長の勇退をはじめとして二八九名が退職し、これにより約一億六〇〇〇万円の年間人件費・事務費の節約がなされたといわれる(『福井新聞』58・1・4)。一般に人件費の膨張が地方財政危機の主たる要因の一つであり、福井県の場合もその削減が交付税獲得の有利な材料となった点は再言を要しないが、同時にじつは福井県の職員(教員をのぞく)の給与水準が、県内民間企業の労働者と同様に全国的にみてかなり低かったという点を付け加えておく必要があろう。地財法による財政再建が進行した五八年の数字であるが、本県職員(知事部局吏員)の月平均給与総額は一万六九四〇円で全国第四四位(東京・大阪をのぞく全国平均一万八一六二円)で、再建団体となった府県をも下回っており、警察官、臨時職員も同様に最低ランクの給与水準であった(自治庁『地方財政再建の状況』)。ちなみに、同年の福井県の製造業における月平均給与総額は一万一四三七円で、全国第四五位であった(『昭和三五年版福井県労働経済の分析』)。



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