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 第三章 占領と戦後改革
   第三節 経済の民主化と産業の再建
    二 農林水産諸団体の民主化
      漁業制度改革
 敗戦後の水産業界は、漁業制度改革を課題として再出発することになる。漁業制度改革のねらいは、漁業の民主化、すなわち「漁場の働く漁民による公的管理と民主的調整機構のもとでの調整による漁場の高度利用と、その漁民への利益の帰属」(『農林水産省百年史』下)の実現にあった。その意図は、あらたに改正された「漁業法」および「水産業協同組合法」の制定によって推進されていく。
 新漁業法は一九四九年(昭和二四)一二月一五日に公布された。その要点を整理すると、(1)現行の漁業権をすべて政府が買い上げ、二年以内に漁業権の再割当を行う。(2)旧漁業法のもとで認められてきた専用漁業権・特別漁業権・水深二七メートル以内で行われる定置漁業権をまとめて共同漁業権と名づけ、一定の水面で漁協組合員が共同して平等に漁業を営む権利と規定している。さらに、水深二七メートル以上で行われる大型定置のみを定置漁業権とし、区画漁業権は従来同様に位置づける。ただし、定置漁業権・区画漁業権の免許は漁協に優先的にあたえられる。(3)漁場の総合的高度利用および漁場紛争の調整をはかる民主的機構として、海区ごとに漁民(婦女子を含む)によって選ばれた七名の委員に三名の学識経験者・公益委員を加えた漁業調整委員会を設置する。(4)政府が既存のすべての漁業権を買い上げ、その補償金を五年償還の漁業権証券として交付することとし、その代わりに、二五年間にわたって漁業者から免許料または許可料を徴収する(漁業の免・許可料の徴収は漁民の大きな反発をうけ、一年かぎりで廃止された)。新漁業法の施行(五〇年二月一五日)をうけて、福井県では、五〇年八月に北越・南越・若狭の三海区(五二年に越前・若狭の二海区、六二年に福井県一海区となる)の漁業調整委員会が発足し、まず新漁場計画案の立案等に尽力することになる(表76)。同年一〇月には福井県漁業権補償委員会が発足し、漁業権買上げ補償額として、全国で一七八億円のうち福井県割当額二億二八五一万円分の個別補償額の決定を行った。約二億円が旧漁業会分として各漁協に、二八〇〇万円あまりが定置漁業権者ら個人に補償されることになった。漁業権証券および政府の漁業権証券の買上げによってもたらされた資金は、漁協の信用事業・共同施設の整備等の原資となる一方、五一年九月に設立された福井県漁業信用連合会(県漁信連)の出資金の一部となった。県漁信連は、農林中央金庫―県漁信連―各漁協とつながる漁民の系統金融機関のかなめの役割を担い、魚商資本に依存せざるをえなかった旧来の漁業金融を近代化する役割を果たした。

表76 福井県の新漁場計画案

表76 福井県の新漁場計画案
 新漁業法の成立に先立って、漁業団体の民主化を実現するために、四八年一二月二五日、水産業協同組合法が制定された。同法は、戦時中に漁業統制の末端機関として設立された漁業会を、民主的・自立的に運営される漁協に改組することを目的としたものである。同法によって、漁協は従来の漁業団体に比べて組合員資格を大幅に拡大し、船主・網元ばかりでなくその同居親族・漁業に従事する配偶者・雇用従事者を含み、漁民を網羅する組織となった。実際に漁業に従事せずに利益を得る「羽織漁師」は組合から排除された。また、組合員を構成員とした漁業生産組合を設けて生産の協同化をはかり、さらに、地区組合のほかに漁業業種別組合の設置を推進する方針が打ち出された。福井県では、四九年二月二五日の同法施行以後七か月たらずのうちに、漁業会のほとんどが漁協に改組された(『福井新聞』49・9・13)。同年一〇月一五日には各漁協の統合組織として、福井県漁業組合連合会(県漁連)が誕生した。さらに、業種別組合として、福井県機船底曳網漁業協同組合・福井県定置漁業協同組合・福井県巾着網漁業協同組合等が次々に設立されていった。県漁連と県漁信連は、福井県漁業界を支える両輪として海区漁業調整委員会と連携しながら、漁業の発展と漁民の生活の安定に大きな貢献をすることになる。



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