ハイランド自身が回顧録で語っているところによれば、震水災(四八年六、七月)のさいの共産党関係者に対する対処が第一軍団に問題視され、これがために更迭されることとなったということだが、後任のマグレインがたった二か月で任を離れ帰米したことを考えれば、理由はともあれ彼の更迭はかなり急がれたもののように思われる(「ハイランド回顧録 ふくいの進駐軍」『日刊福井』77・9・26〜10・2)。本格的な後任を用意する前にとりあえず第八軍の軍政局(Military
Government Section:MGS)に問題の人物を引き取り、軍政官ポストについてはその年の年末に帰米する予定の者でつないだという節がうかがわれるからである。第一軍団の幕僚と独断専行ぎみのハイランドの間には確執もあったようなのでこの機会を利用した、ということなのかもしれない。また、ハイランドの更迭と関係しているかどうか定かではないが、福井軍政部が近畿地区から東海北陸地区に移管されるのもこの時期(四八年九月二五日付)である。当時の近畿地区軍政部はまだ京都にあり、第一軍団軍政部と一体のものであったから(四九年二月、地区軍政部は大阪に移り軍団軍政部より独立する)、ハイランド更迭をめぐる軍団司令部と福井軍政部の間のぎくしゃくした関係をこれにより整理したのかもしれない。
ともあれ、こうした軍政官を戴いてきた軍政部隊の機構およびその仕事ぶりについて略記することにしよう(資12下 付録「解説」、『福井県史研究』8)。 |