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 第二章 日中戦争から太平洋戦争へ
   第一節 戦争動員体制の強化
    五 戦争と県民生活
      「聖戦」と耐乏生活
 日中戦争の長期化が必至となると、一九三八年(昭和一三)四月、政府は「国家総動員法」を公布した。同法は「国ノ全力ヲ最モ有効ニ発揮セシムル様、人的及物的資源ヲ統制運用」することにより、国家総力戦体制の構築をめざして設けられた。それはまた、物資・労働力・資金・言論等に対する統制運用が、議会の審議をへずに勅令で行うことができるという非常委任立法でもあり、戦時経済統制はこの勅令によって推進された。
 日中戦争のための膨大な軍事費支出による、物価騰貴が顕著になった三八年四月「物価委員会令」が公布された。この委員会は中央と地方におかれ、福井県地方物価委員会は、七月以降物価標準最高小売価格を決定し、物価の抑制をはかろうとした。しかし、物価の高騰は抑えられず、翌三九年一〇月には価格等統制令などの「九・一八ストップ令」により、九月一八日の水準で物価、賃金、地代、家賃を釘づけにするという強硬措置をとった。福井県でも一〇月末に新しく一〇〇名の物価調査委員が選任され、一一月以降、公定価格が決められていった。たとえば、当時めったに食卓にのぼらなかった牛肉も、特別ロース・ロース・一〜四等・スジと七等に区分され、さらに同じロース(一〇〇匁)でも福井・敦賀一円、武生、小浜、鯖江、三国、丸岡九六銭、大野、勝山九〇銭というように地区ごとに販売価格が異なっていた(県告示第六八四号)。しかし、こうした複雑な手続きを必要とする価格統制は売惜しみと買いだめを引き起こし、ヤミ価格でなければ手に入れることのできない商品が多くなっていった。このような状況に対処するため、経済警察の専従職員が逐次増加されていくが、統制違反件数はそれをはるかに上回るペースで増加していくことになる。
写真30 経済統制違反を戒める檄文

写真30 経済統制違反を戒める檄文 

 一方、生活必需物資の配給も徐々に強化されていった。配給は三八年秋の綿製品からはじまり、四〇年以降は福井県でも砂糖・薪炭・医薬品などの生活必需物資の欠乏がめだつようになり、本格的な配給統制が行われるようになった。五月には「一般消費者用綿製品配給要綱」が作成され、六月に敦賀市ではじめられた砂糖の切符制は七月には福井市、八月には小浜、大野というように県下に拡大され、翌四一年三月には県下いっせいに砂糖の通帳制がとられた。この切符制は、釘・マッチ・肌着・手拭いなどにも拡大され、四一年三月に砂糖と同様に、米移出県の福井県にも県下いっせいに米の通帳制が実施された。東亜新秩序建設のための「聖戦」は、生活必需物資の欠乏という耐乏生活を県民に強いはじめたのである(資12上 二〇一、『大阪朝日新聞』38・9・24、40・6・26、7・7、9・27、10・3)。
 こうしたなかで、注目されるのが、四〇年夏ごろからの福井市における「町内に入らぬ者や町費を納めぬ者に砂糖切符を渡さぬ」とか「一般用の釘類は切符制、切符は区長から希望者へ」という事態の発生である。県民はこうした耐乏生活すら、部落会・町内会・隣組に頼ることなくしては維持することができなくなってきたのである(『福井新聞』40・7・9、41・1・12)。



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