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 第一章 昭和恐慌から準戦時体制へ
   第四節 恐慌下の商工業
     三 金融業の再編
      地方銀行の国債消化機関化
 有力地方銀行の地位を確立した福井・大和田両行の資金運用状況の変化を表27を手がかりに追ってみよう。福井銀行は一九三六年(昭和一一)以降諸貸出金の比重が小さくなり、資金運用の重点は有価証券所有にシフトしている。恐慌から脱出した織物業界は三一年から人絹織物に転換したが、人絹糸は生糸に比べて安価なため、自己資金でまかなう業者が多く、同行の諸貸出金は横ばいをつづけた。放資先の縮小に悩む同行は、国策に沿って国債を中心とした有価証券投資をふやしていった。大和田銀行は対岸貿易の不振に直面して、早くから有価証券投資に重点をおき、福井銀行以上に預証率を高めていった。戦時金融統制が強まるとともにめだった軍需産業のない本県の両行の放資先は極端にせばまり、集めた預金で国債を購入する「国債消化機関」化の歩を速めた。都市銀行の独占化がすすみ、軍需産業への融資でも独占的地位を占めるなかで有力地方銀行はその資金を集め大都市へ送る機関に変質していくのである。戦時体制期の国策に従わざるをえなかった面はあるが、それを規定したのは昭和恐慌期に確立した金融構造の特質にあったといえよう。

表27 福井銀行と大和田銀行の主要勘定 

表27 福井銀行と大和田銀行の主要勘定 



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