目次へ  前ページへ  次ページへ


 第一章 昭和恐慌から準戦時体制へ
   第四節 恐慌下の商工業
    二 原糸流通組織の構造と人絹取引所の成立
      オッパ取引の事例
 まず「福井区裁判所昭和六年(ニ)第二五号破産事件」を検討しよう。この事件の申立人は、大手の生糸問屋G(二五年営業税二一五・九九円)、被申立人は機業家Kである。申立人は、実際の事件の当事者から債権を譲渡されており、問題となったオッパ取引の当事者は生糸仲立T(二五年営業税八・三〇円)である(福井商業会議所『福井商工名鑑』一九二五年)。Tは、一九三一年(昭和六)一月一六日から二八日にかけてKとの間に人絹糸八万五〇〇〇ポンドを買い、二万ポンドを売り二月限の受渡とする契約を取り交わした。しかし二月末になってもKは現品六万五〇〇〇ポンドをTに引き渡すことができなかった。よって一般同業者間の慣行により売買数量を対等額において相殺すると同時に差額六万五〇〇〇ポンドについてはKの買付品をTより売戻形式により契約を解除することとなった。ところが、当初の契約では一〇〇ポンドあたりの単価が一一三円であったものが二月末の相場により売り戻すために単価は一三五円にはねあがっており、結局、KはTに売買解合値合金として一万二九五二円五〇銭を支払うことになった。これは以下の計算結果によっている。
 一、  二万三五〇〇円     申立人売の部合計金
 二、  八万七七五〇円     申立人売戻合計金
 合計 一一万一二五〇円     被申立人の支払うべき金額総合計
  内金 九万八二九七円五〇銭  申立人買の部合計金
 差引金 一万二九五二円五〇銭
 これに対してK側は売買の事実、代金は認めたものの、本取引が現品授受を目的とせざるオツパ取引であり、「相場の高低により輪贏を決する賭博行為」であること、被申立人Kは機業家であり人絹糸の売買商人ではなく、一日の消費量僅々五、六〇ポンドにすぎないことは差金授受を目的とする証拠であると主張した(『福井管内織物業の変遷と其法律的考察』)。残念ながら判決はわからないが、機業家を売り手とし、人絹糸商を買い手とする巨額の契約が成立していたことはオッパ取引の空売買を示しており、しかも現物が売り手になく、契約時と受渡時の差額を支払うかたちで解合が行われようとしていることは、オッパ取引の危険性を如実に示している。
 いま一つは「福井地方裁判所昭和六年(ワ)第一二二号」である。原告はさきの事件と同じくG、被告は機業家Sである。原告は三一年一月二三日から二月二三日にかけて被告より合計二万三〇〇〇ポンドの人絹糸を買う契約を取り交わしたが、受渡期限に被告は人絹糸の引渡しをすることができなかった。契約時の単価は東洋レーヨン一五〇デニールBが一〇五円五〇銭、帝人岩国一二〇デニールCが一一六円から一二六円であったが、受渡期日の二月末、三月末には帝人岩国がそれぞれ一四〇円、一六〇円、三月末の東洋は一一二円と高騰していた。単価の高騰による代金差額四八六〇円は「被告の売買契約不履行に依りて生じたる損害金なり」とされた。
 これに対して被告側は、原告の主張はいわゆるオッパ取引であり、最初から差金決済を目的とするものなので無効である、取引を行った場所は、絹織物類販売業者R方においてMなるブローカーにより締結されたものである、と反論した。ちなみにRは羽二重問屋販売で、二五年営業税は三六五円五銭である。これは福井地方裁判所におけるオッパ事件の嚆矢であるとされる(『福井管内織物業の変遷と其法律的考察』)。さきの事件と同じく、売り手が機業家で買い手が人絹糸商で、現品がないために受渡不能となり、売り手が価格高騰分の差額を請求されている。オッパ取引は福井レーヨン商組合員に限定されていたが、G、Rは組合員であるが、Sは組合員ではない。R方で取引がされたというのは、RがSから委託されたかたちでMというブローカーを介して契約がなされたことを物語っている。なお、本事件は同年一二月には判決が出されたが、「当地方のオッパ取引は、現物引渡しが本位でなく相場の高低による差金授受を主とするものでこれを一般の法的見地からみれば賭博に類する行為で良俗に反するから法の保護を加へる要がない」として原告の損害賠償請求を退けた。もっとも担当の星野判事は「決してオッパ取引全体を賭博類似行為と見なすものではない」とした(『福井新聞』31・12・22)。



目次へ  前ページへ  次ページへ