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 第一章 昭和恐慌から準戦時体制へ
   第二節 農業恐慌と農村社会
    四 恐慌下の水産業
      機船底曳網漁業の整理転換
 大正期に発動機船化とともに近代的漁法が導入されて以来、従来からの漁法に依存してきた沿岸小漁業者の利益と対立し、沿岸小漁業者から全面的禁止あるいは部分的禁止を強く要求されたのが、機船底曳網漁業(福井県沖合が漁場)・流網漁業(丹生郡沿海・沖合が中心的漁場)・巾着網漁業(若狭湾が漁場)であった。そのなかでも、沿岸小漁業者との間でもっともトラブルをおこしたのは、機船底曳網漁業である。農林省水産局の調査では、一九三四年(昭和九)から三六年の三年間で、福井県の機船底曳網漁業違反事件に対する行政処分の件数は三三件にのぼっている(『底曳網漁業制度沿革史』)。機船底曳網漁業については、二一年制定の「機船底曳網漁業取締規則」により操業禁止区域が設定され、操業に認可制度が導入されて以後、二度にわたる同規則の改正により、起業認可制・船舶増トンの許可制の導入、許認可権限の知事から農林大臣への移行、禁止期間の設定、東経一三〇度以東の夜間操業禁止等が実施された。三四年七月にはあらたな機船底曳網漁業取締規則が制定され、取締りは強化された。そして、狭く限られた漁場に機船底曳網漁船がひしめき合う状態と沿岸小漁業者の高まる非難の声を解消することを狙いとして、三七年八月、「機船底曳網漁業整理規則」が制定された。それと同時に、「機船底曳網漁業整理転換奨励規則」が決められ、福井県の一四六隻の機船底曳網漁船のうち四六隻が整理対象に指定された。県当局はただちに当業者による整理組合を設立し、減船整理・漁業転換の奨励に着手した。三八年三月、整理組合は苦心の末、同年度から一〇年間の計画で四六隻を減船することを決定し、三八年度分七隻・三九年度分五隻・四〇年度分五隻・四一年度分四隻の具体的船名が明らかにされた。減船対象となった機船底曳網漁船が他の漁業に転換する場合には、県からの補助金(転換にかかる費用の二割または三割)が交付されることになった。その後、整理転換は順調に進んだが、太平洋戦争下で食糧の確保が重要課題となるなかで、資源活用の面から効率的漁法である機船底曳網漁業が見直されることになり、四二年九月、農林省より機船底曳網漁業臨時許可要綱が出され、整理転換は一時中止されることになった(『農林水産省百年史』中)。



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