This is a cache of http://localhost/fukui/07/nenpyo/rekishi/chrn25.html. It is a snapshot of the page at 2023-03-27T00:05:11.399+0900.
福井県史年表(1581年~1600年)

Fukui Prefectural Archives

福井県史年表

Chronology

凡 例データセット年表一覧LINK

1581~1600年

西 暦 和 暦 事 項
1581 天正9 1 16 佐々成政,今立郡大滝掃部に奉書紙の権限を認める判物を下す[三田村士郎家文書].
1581 天正9 2 柴田勝家,上洛して織田信長に加賀平定を報告[信長公記].
1581 天正9 3 坂井郡竜沢寺,伽藍再興のため勧化を行う[龍澤寺文書].
1581 天正9 3 顕如,信長が分国中の門徒の本願寺参詣を許可した旨を報じる[円和寺文書].
1581 天正9 4 16 信長,溝口秀勝に病死した高浜城主逸見昌経の本地分を宛行う[溝口家文書].
1581 天正9 4 ルイス・フロイス,府中を経て北庄を訪れ布教[フロイス日本史,イエズス会士日本通信].
1581 天正9 8 17 信長,前田利家に能登一国を与える[信長公記].
1581 天正9 8 27 正親町天皇,後奈良天皇の25回忌につき遠敷郡羽賀寺に本尊開帳を指示[羽賀寺文書].
1581 天正9 10 2 信長,利家に菅屋長頼への所領引渡しを命じる[尊経閣文庫所蔵文書].
1581 天正9 11 16 勝家,三国湊に対して定書を出す[森田正治家文書].
1581 天正9 この年真智死去.その後熊坂専修寺没落[片聾記].
1582 天正10 2 21 柴田勝安,大野郡新村の村立てを許可し台所入とする[久保長右衛門家文書].
1582 天正10 3 8 前田利家,南条郡河野浦に対し船寄山を安堵[中村三之丞家文書].
1582 天正10 6 2 本能寺の変,織田信長死去.
1582 天正10 6 13 羽柴秀吉,山崎の戦いで明智光秀を破る.
1582 天正10 6 18 柴田勝家,近江坂田郡加田荘に禁制を与える[小川武右衛門氏所蔵文書].
1582 天正10 6 27 清洲会議,勝家と秀吉が対立[多聞院日記].
1582 天正10 7 19 武田元明,近江海津法雲寺で殺される[高野山過去帳].
1582 天正10 7 28 遠敷郡妙楽寺,丹羽長秀に指出を提出[妙楽寺文書].
1582 天正10 8 22 長秀,小浜長源寺に寺領安堵状を出す[長源寺文書].
1582 天正10 8 24 柴田勝豊,近江国坂田・浅井・伊香の3郡に徳政令を発する[菅浦文書].
1582 天正10 8 25 長秀,小浜西福寺に寺領安堵状を出す[西福寺文書].
1582 天正10 10 21 長秀,国侍を近江海津の城番として動員[山庄家文書].
1582 天正10 10 お市,3人の娘を連れて北庄に赴く.
1582 天正10 11 2 勝家,長浜に軍勢を派遣[中村不能斎採集文書].
1582 天正10 12 秀吉,長浜城の勝豊を包囲し降伏させる[兼見卿記].
1582 天正10 この年三門徒派専照寺,北庄堀小路に移る.
1583 天正11 2 20 丹羽長秀,小浜の桑村氏の船公事家役を免除[桑村文書].
1583 天正11 2 27 長秀,羽柴秀吉に越前口を押さえていることを報じる[上野五左衛門氏所蔵文書].
1583 天正11 3 3 柴田勝家軍,北庄をたって近江国伊香郡柳ケ瀬に本陣を構える.
1583 天正11 3 20 柴田勝安,大野郡新村の夫役を免じ還住を命じる[久保長右衛門家文書].
1583 天正11 4 21 賎ケ嶽の戦い.
1583 天正11 4 22 秀吉,「さばや船頭中」に諸役免許状を出す[舟津五丁目区有文書].
1583 天正11 4 24 秀吉,北庄城を陥落させる.
1583 天正11 4 24 秀吉,「あこ大渡船頭中」「あこ小渡船頭中」へ諸役免許状を出す[石倉家文書,越前国名蹟考].
1583 天正11 4 24 秀吉,三国湊に兵粮・預け物などについての覚を出す[森田正治家文書].
1583 天正11 4 長秀,越前に転封.
1583 天正11 4 堀尾可晴,大飯郡に入部[譜牒余録].
1583 天正11 4 秀吉・長秀,越前所々に禁制を与える[白山神社文書,昌蔵寺文書など].
1583 天正11 5 2 長秀の家臣成田重政,袋田(勝山)へ入る[久保長右衛門家文書].
1583 天正11 5 4 長秀,三国津問丸中に諸国商人へ三国入津をうながすよう伝える[森田正治家文書].
1583 天正11 5 7 長秀,家臣上坂大炊助に知行宛行状を発給[松雲公採集遺編類纂].
1583 天正11 5 25 長秀,鯖江誠照寺に還住を促し,諸役を免除[誠照寺文書].
1583 天正11 5 蜂屋頼隆,敦賀郡西福寺に禁制を与える.これより前,敦賀郡の領主となる[西福寺文書].
1583 天正11 5 長秀,越知山室大谷寺・門前に定を出す[越知神社文書].
1583 天正11 6 12 長秀,高田専修寺に対し諸役を免除[法雲寺文書].
1583 天正11 6 29 長秀,鋳物所に定を出す[成簣堂文庫所蔵文書].
1583 天正11 6 長秀,筒井公文所に諸役免許状を与える[大河内区有文書].
1583 天正11 7 26 秀吉,小浜の豪商木下和泉に遠敷郡虫生村で知行を与える[岡本栄之氏所蔵文書].
1583 天正11 7 長秀,翌月にかけて国枝半介ら家臣に領知を宛行う[土佐国蠹簡集残篇など].
1583 天正11 8 14 頼隆,敦賀の道川氏に地子・諸役・櫂役を免除[道川文書].
1583 天正11 8 21 長秀,北庄の小武太郎三郎屋敷に地子銭と祥雲寺屋敷を免許[慶松勝三家文書].
1583 天正11 11 5 長秀,北庄の橘屋三郎左衛門に地子銭・臨時諸役を免除[橘栄一郎家文書].
1583 天正11 11 20 金森長近,大野専福寺に友兼村内の屋敷方壱縄を免除[専福寺文書].
1583 天正11 11 26 頼隆,敦賀本妙寺に諸役を免除[本妙寺文書].
1583 天正11 この年木村隼人佐,若狭で検地を実施[宇波西神社文書].
1584 天正12 4 13 羽柴秀吉,小浜の木下和泉に西路まで塩100石の輸送を命じる[岡本栄之氏所蔵文書].
1584 天正12 4 15 穴馬八ケ衆,大野郡野津俣長勝寺に帰参を誓約[法勝寺文書].
1584 天正12 7 丹羽長秀,越前で検地を実施.
1584 天正12 8 18 木村隼人佐の家臣木村由信,三方郡早瀬浦へ裁許状を出す[早瀬区有文書].
1584 天正12 8 長秀,家臣へ領知を宛行う[長井健一家文書].
1584 天正12 12 22 結城秀康,秀吉の養子として大坂に送られる[家譜].
1584 天正12 この年南条郡池大良浦・大谷浦・糠浦,網手米を納入[宮川源右ヱ門家文書].
1585 天正13 4 16 丹羽長秀死去,子の長重があとを継ぐ[寛政譜].
1585 天正13 5 1 南条郡河野浦と今泉浦との網場争論,諸浦の扱いにて内済[西野次郎兵衛家文書].
1585 天正13 5 28 羽柴秀吉,小浜の木下和泉に加賀へ米の輸送を命じる[岡本栄之氏所蔵文書].
1585 天正13 5 長重,7月にかけて領内寺社・商人などに領知安堵状,諸役免許状を出す[称念寺文書,橘栄一郎家文書など].
1585 天正13 6 2 山内一豊,大飯郡を領する[山内家史料].
1585 天正13 6 13 長秀の家臣山田高定,長井左京亮に吉田郡内などで300石を宛行う[長井健一家文書].
1585 天正13 7 25 北庄の一乗町紺屋中17人,役銭などについて定を作成[橘栄一郎家文書].
1585 天正13 7 金森長近,飛騨に入り一時制圧[岐阜県史].
1585 天正13 (8) 13 溝江長氏,秀吉から坂井郡金津で3,000石を宛行われる[中村不能斎採集文書].
1585 天正13 (8) 13 堀秀政,秀吉から越前北庄29万石を宛行われる.この月,家臣に知行を宛行う[松雲公採集遺編類纂].
1585 天正13 (8) 14 木村隼人佐,秀吉の指示で野辺四郎右衛門尉に越前国中蝋燭司を命じる.これより前,若狭佐柿から府中に入部[内田吉左衛門家文書].
1585 天正13 (8) 19 長谷川秀一,石屋中に条々を与える.これより前,足羽郡東郷へ入部[木戸市右衛門家文書,多聞院日記].
1585 天正13 (8) 21 山内一豊,近江に転封.
1585 天正13 (8) 21 蜂屋頼隆,敦賀船の先積みの法を定め保護[道川文書].
1585 天正13 (8) 25 長谷川秀一,足羽郡祥雲寺の諸役を免除[慶松勝三家文書].
1585 天正13 (8) 28 長重,小浜八幡宮に禁制を与える.その後あいついで領内諸寺社に禁制を与える.これより前,北庄から若狭一国へ転封[八幡神社文書,兼見卿記など].
1585 天正13 (8) 丹羽長秀の次男長正,秀吉から領知500石を宛行われる[丹羽歴代年譜].
1585 天正13 9 2 堀秀政,北庄鋳物師に諸役を免除し,屋敷を与える[松村文書].
1585 天正13 10 秀政,永平寺・長崎称念寺・西教寺に寺領を寄進[永平寺文書,称念寺文書].
1585 天正13 11 3 長重,小浜の桑村四郎右衛門に船公事家役などを免許[桑村文書].
1585 天正13 この年北庄一乗町の中に「一乗之魚屋町」がみえる./金森長近,別山に社殿を建立.
1586 天正14 1 18 豊臣秀吉,溝江長氏に越前において3,500石を宛行う[中村不能斎採集文書].
1586 天正14 この年金森長近飛騨へ転封,その跡へ青木一矩が入る.
1587 天正15 3 丹羽長重,加賀松任4万石に転封[寛政譜].
1587 天正15 3 結城秀康,14歳で初陣[家譜].
1587 天正15 9 5 浅野長吉,若狭一国を拝領[浅野家文書].
1587 天正15 10 20 長吉,領内の村むらに7か条の条々を出す[渡辺市左衛門家文書など].
1587 天正15 10 長吉,小浜長源寺に禁制を与える[長源寺文書].
1587 天正15 11 16 長吉,小浜神明社に社領を寄進[神明神社文書].
1587 天正15 この年酒井忠勝,忠利の子として三河に生まれる[寛政譜].
1588 天正16 2 24 浅野長吉の奉行人,遠敷郡本保村に5か条の定を出す[清水三郎右衛門家文書].
1588 天正16 6 長吉,若狭一国の惣検地を実施.
1588 天正16 11 長吉,領内所々に禁制を与え,かつ領知を寄進[妙光寺文書など].
1588 天正16 この年若狭に約1万石の豊臣氏蔵入地が設定される.
1589 天正17 1 24 浅野長吉,遠敷郡熊川村に諸役免除の判物を与える[熊川区有文書].
1589 天正17 4 25 鯖江の誠照寺再興,後陽成天皇綸旨が出される[誠照寺文書].
1589 天正17 7 24 毫摂寺,勅願寺の綸旨をうけ,粟田口青蓮院の院家となる[本山毫摂寺文書].
1589 天正17 8 2 蜂屋頼隆,敦賀の高嶋屋伝右衛門に地子を免除[小宮山文書].
1589 天正17 9 25 頼隆死去,その跡に大谷吉継が入部.
1589 天正17 10 2 赤座吉家,南条郡大桐村に灰焼きの独占的営業を認める[前川三左衛門家保管文書].
1589 天正17 11 3 戸田茂右衛門,刀狩に際し三方郡佐田村に猪追いの槍10本を認める[田辺半太夫家文書].
1589 天正17 12 大谷吉継,敦賀西福寺に禁制を与える[西福寺文書].
1589 天正17 この年高嶋屋伝右衛門はすでに加賀藩の蔵宿を務めている[小宮山文書]./伊勢茶,敦賀に初めて来る[旧西村孫兵衛家文書].
1590 天正18 2 17 浅野氏,小浜の桑村玄作に馬役を免除[桑村文書].
1590 天正18 4 14 敦賀郡泉村の手浦山利用についての条々が定められる[秦実家文書].
1590 天正18 5 27 堀秀政死去,子の秀治が16万石を継ぐ[延岡堀文書].
1590 天正18 7 小田原の北条氏直,秀吉に降伏.
1590 天正18 8 6 結城秀康,結城晴朝の養子となり10万1,000石を継ぐ[家譜].
1590 天正18 12 6 青木一矩,大野最勝寺に寺領を寄進[最勝寺文書].
1590 天正18 12 10 秀康,奥州葛西一揆鎮圧のため白川へ出陣[家譜].
1590 天正18 この年大谷吉継,木村常陸介の領地の一部を得る.
1591 天正19 (1) 12 敦賀郡常宮浦と同郡沓浦,山境につき内済[山本宗右衛門家文書].
1591 天正19 (1) 堀秀治,領内の寺社・職人・商人に安堵状を発給[橘栄一郎家文書など].
1591 天正19 5 24 前田利家,高嶋屋伝右衛門に加賀・能登・越中から敦賀に運ばれた米すべての引渡しを命じる[小宮山文書].
1591 天正19 9 22 浅野長吉,若狭の蔵入地から6,500石加増される[浅野家文書].
1591 天正19 9 豊臣秀吉,朝鮮出兵を命じる.
1592 文禄1 2 3 大谷吉継,敦賀の道川氏に地子・諸役・舟3艘の役を免除[道川文書].
1592 文禄1 2 18 前田氏,敦賀から九州への米の輸送を高嶋屋に依頼[小宮山文書].
1592 文禄1 3 結城秀康,肥前名護屋に出陣[家譜].
1592 文禄1 9 8 浅野長継,小浜の桑村源作に朝鮮出兵のため領内諸浦の船水手改めを命じる[桑村文書].
1592 文禄1 11 24 本願寺顕如死去[本願寺史].
1592 文禄1 12 26 浅野長継,遠敷金屋中に若狭国金屋職を安堵[芝田孫左衛門家文書].
1592 文禄1 12 豊臣秀吉,教如に命じて本願寺を継がせる.
1593 文禄2 2 9 浅野長吉,小浜の組屋と古関に米3,000石と大豆1,000石の肥前名護屋への輸送を命じる[組屋文書].
1593 文禄2 2 豊臣秀吉,敦賀の商人塩屋新五郎に肥前名護屋への船の派遣を命じる[川船文書].
1593 文禄2 2 敦賀郡内から朝鮮出兵のための水主が徴用される[川船文書].
1593 文禄2 4 12 末吉二郎兵衛宛の秀吉朱印状に北袋銀山の記載がみえる[東末吉文書].
1593 文禄2 5 16 浅野氏,三方郡日向浦と早瀬浦の網場争論を裁許[渡辺六郎右衛門家文書].
1593 文禄2 (9) 16 教如,本願寺の裏方に隠居し,弟准如が本願寺を継ぐ[本願寺史].
1593 文禄2 11 20 長吉,甲斐へ転封[浅野家文書].
1593 文禄2 11 25 長谷川秀一の一族,専照寺の中野門徒に判物を出す[専念寺文書].
1593 文禄2 この年木下勝俊が小浜に,木下惟俊が高浜に入る.
1594 文禄3 1 19 豊臣秀吉,溝江長氏に伏見城普請役を命じる[中村不能斎採集文書].
1594 文禄3 2 長谷川秀一,出兵先の朝鮮で死去.
1594 文禄3 3 6 大谷吉継,敦賀の川舟兵衛三郎に伝馬1疋を与える[道川文書].
1594 文禄3 7 21 木下勝俊,若狭国中の本願寺末寺に禁制を与える[妙光寺文書].
1594 文禄3 11 5 勝俊,遠敷一宮領11石を寄進[若狭彦神社文書].
1594 文禄3 11 30 秀一の一族,石屋中に条々を与える[木戸市右衛門家文書].
1594 文禄3 12 11 小浜の組屋甚四郎,ルソン壷の請負売却代金を豊臣氏奉行前田玄以に皆済[組屋文書].
1595 文禄4 3 23 丹生郡塚原村,南条郡河野浦舟寄山を米8石で請け負う[中村三之丞家文書].
1595 文禄4 4 11 長谷川嘉竹,丹生郡西光寺に寺地を寄進[西光寺文書].
1595 文禄4 5 5 青木一矩,府中御霊宮別当へ禁制を与える[御霊神社文書].
1595 文禄4 6 10 松平忠直,下総結城に生まれる[家譜].
1595 文禄4 8 3 豊臣秀吉,湯浅茂左衛門に府中などで500石を宛行う[湯浅文書].
1595 文禄4 8 28 織田秀雄,大野郡友兼村専福寺の寺領を安堵し,大野最勝寺へ寺領を寄進[友兼専福寺文書,最勝寺文書].
1595 文禄4 10 10 木下勝俊,遠敷郡熊川町中に諸役を免許[熊川区有文書].
1595 文禄4 10 10 勝俊,遠敷郡羽賀寺に寺領50石を寄進[羽賀寺文書].
1595 文禄4 11 2 勝俊,領内に定を出す[清水三郎右衛門家文書].
1595 文禄4 11 4 敦賀郡浦底浦と色浜浦,そての網場などについて申しあわせる[色浜区有文書].
1595 文禄4 この年小浜の組屋源四郎,豊臣政権の米を津軽で請け負い,その輸送と売却にあたる[組屋文書]./秀吉,聚楽第を破却し新たに伏見城の建設を始める./敦賀の道川兵二郎や小浜の塩屋甚右衛門,太閤板を敦賀に輸送[秋田家文書].
1596 慶長1 1 15 長谷川嘉竹の家臣,大野郡畔川村の百姓中に役儀を免除[久保長右衛門家文書].
1596 慶長1 6 8 教如,「九ケ寺総坊」に親鸞聖人真影を下付[願念寺文書].
1596 慶長1 (7) 17 織田秀雄,生駒直勝に大野郡において1,509石を宛行う[成簣堂文書].
1596 慶長1 9 18 前田利家,高嶋屋に敦賀にある荷物の使者への引渡しを命じる[小宮山文書].
1596 慶長1 9 豊臣秀吉,朝鮮への再度出兵を決する.
1596 慶長1 この年三国の治兵衛・敦賀の高嶋屋久次・小浜の古関平右衛門,太閤板を敦賀に輸送[秋田家文書].
1597 慶長2 2 29 大谷吉継,敦賀の川舟兵三郎に地子銭と諸役・船役を免除[道川文書].
1597 慶長2 2 敦賀郡江良浦,村高や塩年貢などの指出を上げる[刀根春次郎家文書].
1597 慶長2 3 7 木下勝俊,田中宗徳に居屋敷の地子と諸役を免許[長井健一家文書].
1597 慶長2 4 26 堀秀治,三国問丸に京都への米の運送を命じる[森田正治家文書].
1597 慶長2 5 秀治,7月にかけて寺社や町人などに諸役を免除[滝谷寺文書など].
1597 慶長2 7 木下惟俊,高浜の妙長寺に禁制を与える[妙長寺文書].
1597 慶長2 8 10 秀治,大連に十郷用水の支配を命じる[大連彦兵衛家文書].
1597 慶長2 11 17 吉継,敦賀の永建寺に禁制を与える[永建寺文書].
1597 慶長2 12 14 松平忠昌,秀康次男として大坂に生まれる[家譜].
1597 慶長2 この年道川三郎左衛門と高嶋屋良左衛門,太閤板を秋田から敦賀に輸送[秋田家文書]./尊光寺,勝山に移る[勝山市史].
1598 慶長3 3 5 南条郡大良浦,大谷山について大谷浦に約定を出す[宮川五郎右衛門家文書].
1598 慶長3 4 2 堀秀治,越後春日山に転封,跡に小早川秀秋が入る[延岡堀文書].
1598 慶長3 7 20 越前の検地完了,石高49万石余から68万石となる.
1598 慶長3 7 28 豊臣秀吉,幸若小八郎・上田主水や丹羽長正の母に領地を加増[桃井雄三家文書,上田家文書,丹羽歴代年譜].
1598 慶長3 8 5 秀秋,家臣へ領知宛行を行う[松野文書など].
1598 慶長3 8 6 木村由信,大滝掃部に大滝村代官職を命じる[大滝神社文書].
1598 慶長3 8 18 秀吉死去.
1598 慶長3 8 22 長束正家,大谷寺に越知山の用木伐採を禁じる[越知神社文書].
1598 慶長3 12 1 戸田勝成,坂井郡黒目村の称名寺に寺領などを安堵[称名寺文書].
1598 慶長3 この年三国の利右衛門,敦賀の河野屋彦右衛門・彦十郎,小浜の塩屋甚右衛門,太閤板を秋田から敦賀に輸送[秋田家文書].
1599 慶長4 2 5 小早川秀秋,筑前・筑後へ転封.府中の青木一矩,北庄20万石に転封[毛利家文書].
1599 慶長4 2 20 敦賀郡浦底浦と色ケ浜浦,川向御所辻子町の無切手磯見漁を訴える[色浜区有文書].
1599 慶長4 (3) 10 一矩,北庄の橘屋に地子銭を免除するとともに,薬販売の特権を保証[橘栄一郎家文書].
1599 慶長4 6 13 豊臣氏五大老,府中方にて江原小五郎に1,000石,友松忠右衛門に500石を宛行う[荒尾文書,蠧簡集].
1599 慶長4 9 7 徳川家康,結城秀康に伏見城を守らせる[家譜].
1599 慶長4 10 1 堀尾可晴,府中城の留守居として5万石の領地を得て入部[内閣文庫所蔵古文書集].
1599 慶長4 12 26 家康,敦賀の田中清六に北国中の諸浦での諸役を免除[田中梓文書].
1599 慶長4 この年三国新保の新介,敦賀の道川孫左衛門,小浜の馬借屋孫三・中川小三郎・弥兵衛・溝尾源右衛門,太閤板を秋田から敦賀に輸送[秋田家文書].
1600 慶長5 2 21 今立郡の水落神明社,屋敷地の地子を免除される[瓜生守邦家文書].
1600 慶長5 2 26 大野郡御領村の伊藤家,置書を作成[伊藤三郎左衛門家文書].
1600 慶長5 4 8 豊臣氏大老,溝江長晴に知行を安堵[中村不能斎採集文書].
1600 慶長5 4 堀尾可晴,織田庄寺社に定を出し,また府中平吹権現に祭領を寄進[上坂一夫家文書,佐治覚右衛門家文書].
1600 慶長5 6 8 結城秀康,上杉景勝を討つため伏見を発つ[家譜].
1600 慶長5 7 2 南部利直,敦賀の道川氏に領内諸浦での舟役を免除[道川文書].
1600 慶長5 8 2 大谷吉継,南条郡今泉村に禁制を与える[西野次郎兵衛家文書].
1600 慶長5 9 15 徳川家康,美濃関ケ原に石田三成の西軍を破る.
1600 慶長5 9 20 前田利長,坂井郡長崎村称念寺に禁制を与える[称念寺文書].
1600 慶長5 9 23 木下勝俊の家臣,遠敷郡矢代浦に年貢の免状を出す[栗駒清左ヱ門家文書].
1600 慶長5 10 10 青木一矩病死除封,保科正光在番として北庄城に入る[橘栄一郎家文書].
1600 慶長5 10 12 京極高次,小浜の長源寺へ禁制を与える.これより前,高次に若狭一国8万5,000石が与えられる[長源寺文書など].
1600 慶長5 10 19 高次,小浜町人組屋六郎左衛門に志積浦などの代官を命じる[組屋文書].
1600 慶長5 11 6 可晴の家臣,今立郡大滝5か村に夫役紙などの特権を保証[大滝神社文書].
1600 慶長5 11 16 高次,遠敷郡金屋鋳物師の金屋職を安堵[芝田孫左衛門家文書].
1600 慶長5 11 高次,領内寺社に対し禁制を与え,寺領を寄進・安堵,また諸役を免除[広峰神社文書,長井健一家文書など].
1600 慶長5 11 初代幸若弥次郎,家康に音曲役として召し出される[辻嘉左衛門家文書].
1600 慶長5 11 秀康,越前一国68万石拝領[家譜].

年表一覧

 福井県文書館の公式ホームページです。

 『福井県史』通史編1~6(原始・古代、中世、近世一・二、近現代一・二)がご覧になれます。

 古代から現代までのふくいの歴史を、豊富な図表と写真によって112のテーマから概観します。

 507年~1995年まで約12,000項目の歴史年表です。各事項には典拠が示してあります。

 『福井県史』資料編17 統計の表題・項目名・年次の一覧がご覧いただけます。

 福井県文書館では、所蔵資料の中で、幕末維新期の福井藩の歴史を知る上で重要な資料を公開しています。

 歴史研究や郷土研究、先祖調べなどで福井藩士について調べるための資料を紹介します。

 福井県文書館で発行している刊行物はこちらから。