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第七章 世紀転換期を迎える福井県
  経済環境の激変
 一九八五年(昭和六〇)九月のプラザ合意によるドルの協調切下げにより、円の対ドル為替相場は二四〇円から八七年二月には一五〇円となり日本経済は輸出産業を中心に円高不況を経験したが、アメリカの金利引下げに協調して国内金利が大幅に引下げられたことから資産インフレが進行し、これによる内需の拡大に支えられて日本経済は長期的な好況の局面に突入した。八七年一〇月のニューヨーク株式市場の株価大暴落(ブラック・マンデー)後も日本では超低金利政策が継続され、株価・地価の投機的な上昇が生じ、八九年(平成元)一二月末には日経平均株価は三万八九一五円とかつてない最高値に達し、景気も過熱して雇用も著しい逼迫を経験した。しかし、株価は九〇年一月から四月にかけて約一万円の暴落を示し、若干の反騰の後九〇年七月から一〇月にかけて約一万三〇〇〇円の暴落となり、その後第三次の株価の下落が九二年八月まで続き、株価は一万四〇〇〇円台で底をうった。この株価大暴落の過程で日本の金融システムの問題点が露呈し、また円高も一段と進行したため、景気回復のきざしがつかめないまま平成不況と呼ばれる閉塞状況が現在まで継続している。
 こうした日本経済の激動、とりわけ円高の進行は福井県の各産業の動きに大きな影響をあたえた。まず中東向け輸出にシフトしていた合繊織物業界は、東アジア諸国の追上げもあって大きな苦境に見舞われ、八五年から八七年にかけて実施された織機の共同廃棄事業では一万三七二七台が廃棄され、八六年にはウォータージェットルームの破砕もはじめて行われた。その後福井県の合繊織物業は、合繊特有の性能や特色を生かした新合繊を中心とする差別化物や非衣料分野の新規開拓をはかり、内需にシフトすることで対応していったが、平成不況のなかで業績も悪化した。また、九三年一〇月には戦後の繊維産地政策の要であった織機の登録制度が、国の規制緩和措置の一環として廃止された。電気機械、一般機械などは、半導体製品や機械の売行きの伸びに支えられて好調な推移を示したが、平成不況下の円高の進行のなかで主要な発注企業が注文先や関連工場を海外にシフトする動きが著しくなり、地方経済の「空洞化」が懸念される事態となっている。眼鏡枠工業もブランド品を中心に国内や先進国市場向けに売上げを伸ばしたが、やはり不況と円高の進行の影響をうけ、九五年には大手メーカーが倒産するなど苦境に直面している。
 一方、農業も、わが国の農業を取り巻く状況が急速に展開するなかで、あらたな岐路に立つことになった。九二年六月の農林水産省による「新しい食糧・農業・農村政策の方向」(新政策)の発表以来、国の農業政策は、国内農業の生産や流通における規制と保護を見直し、市場原理・競争原理の導入をはかり、個人や法人による経営の大規模化をいっそう促進して、兼業農家主体の現状を抜本的に改編する方向へと転換した。また、対外的には、戦後最悪の凶作に見舞われた九三年一二月、ガット・ウルグアイ・ラウンドの農業合意によって米以外の農産物が関税化されるとともに、関税化の特例となった米についても九五年度からの「ミニマム・アクセス」(最低輸入量)が義務づけられ、農産物の市場開放が進んだ。さらに九五年一一月、従来の「食糧管理法」に代わって「主要食糧の需給および価格の安定に関する法律」(新食糧法)が施行され、国内米の生産・流通が大幅に自由化された。
 こうした国内農業の枠組みの大きな変化とともに、農業就業者の大幅な減少と高齢化の進行、後継者不足、中山間地域の過疎化の進行など、農業の担い手の諸条件も近年とみにきびしさを増してきている。これらの問題に対応しつつ、激化する産地間競争のなかで良質米産地としての地位確保をどうはかっていくのか、またそのなかで従来の兼業農家の存在をどう見直し位置づけていくのか、福井県農業は大きな転換を迫られている。



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