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 第六章 「地方の時代」の諸問題
  第二節 諸産業の展開
    六 観光とレジャー
      娯楽とレジャー
 一九五〇年代のはじめごろまで、県民の娯楽は、おもに映画館や仮設興行場で催される映画見物、パチンコや麻雀を楽しむといったところだった。
 競輪は、福井市が戦災や震水災からの復興財源の確保から同事業を計画し、福井競輪株式会社を設立して一九五〇年(昭和二五)五月、福井市明里町に福井競輪場を建設した。競艇は五一年の「モーターボート競走法」により、五三年四月から三国町ではじまった。競馬は、三七年に日中戦争の勃発によって中止されるまで、大野郡大野町篠座や福井市下北野町で開催されていたが、戦後四八年の「地方競馬法」により、県営で五五年七月まで開催されていた(『大正昭和福井県史』下)。
 パチンコは、四九年に県内で一二店二〇〇台あったものが五二年には二一八店七四〇七台に増加した。その後一九六〇年代なかばにかけて、過当競争・法的規制から全国的にも店舗数は激減し、県内でも六七年には店舗数は四六店に減少している。六二年に開発された「チューリップ機種」の登場は凋落傾向にあったパチンコをふたたびブームにのしあげ、またスマートボールや雀球などを導入する店舗もふえ遊戯の多様化がめざされた。このころから、自家用車の普及に対応して店舗の大規模化・郊外化が進んだことも特徴である(『大正昭和福井県史』下、『福井経済』73・6)。七九年、コンピュータゲームの登場により「インベーダーブーム」がおこると、県内にも多くのゲーム喫茶やゲームセンターが登場した。その一方でパチンコ店の倒産があいついだが、八三年に開発された電子制御による「フィーバー機」の登場によってふたたび活況を呈し、現在は年間総事業収入が全国で三〇兆五〇〇〇億円に達する巨大産業となっている(NHKスペシャル『新電子立国』3、『福井新聞』96・1・26)。
 ボウリングは、六〇年代なかごろからまたたくまにブームとなり、福井県でも六五年六月に福井市内に一八レーンのボウリングセンターが誕生したのを皮切りに、次々に県内各地に建設が進んだ。七二年末には二六センター・七一九レーンが営業していたが、過剰設備と人気離散によって各センターの収益は悪化し、第一次石油危機後の不況ともあいまって、わずか二年後には一八センターが解散・事業転換を余儀なくされた(『福井経済』73・5、75・3)。
写真115 芦原ゴルフ場

写真115 芦原ゴルフ場

 ゴルフは、一般に高級スポーツとみなされてきたが、七〇年代から大衆化し、県内にもゴルフ場建設があいついだ。六一年六月に芦原町浜坂にオープンした芦原ゴルフクラブがその嚆矢であり、九〇年(平成二)現在で八か所・一九八ホールが営業、のべ約五三万人が利用している。またゴルフ場会員権が投機の対象ともなり、バブル経済期にはさかんに売買された。ゴルフ場開発は、自治体にとってもゴルフ場利用税の確保や固定資産税の増加、さらにはキャディや従業員の雇用など過疎地対策にもなるとして歓迎する傾向があったが、前述のような環境破壊・乱開発といった議論がなされる現在、自然環境に配慮したバランスのとれた開発が求められている(『福井経済』74・6、91・5)。



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