目次へ  前ページへ  次ページへ


 第六章 「地方の時代」の諸問題
  第二節 諸産業の展開
    三 合繊織物業の展開
      第一次石油危機
 第一次石油危機により生じた狂乱物価に対処するため、政府は総需要抑制政策の強化に乗りだした。一九七三年(昭和四八)一一月の石油緊急対策要綱の閣議決定、一二月の「国民生活安定緊急措置法」「石油需給適正化法」のいわゆる石油二法の公布・施行、七四年一月の石油・電力の使用節減など一連の消費・投資規制措置が八月の緊急事態宣言の解除まで継続された。また七三年一二月に公定歩合が戦後最高の九%に引き上げられ、この水準が翌七五年四月まで維持されるとともに、預金準備率の引上げ、貸出抑制指導の強化など強力な金融引締め政策が遂行された(なお公定歩合の九%への引上げは、八〇年三月に第二次石油危機およびアメリカの総合インフレ対策への対処として再度行われた)。福井県でも七四年一月に県民生活安定対策室が設けられ、需給監視、価格指導につとめた。
 さきの図78により原油価格引上げによるコスト・アップ後の物価・賃金の動向をみると、消費者物価と名目賃金の上昇が引き続きみられるのに対して、卸売物価はほぼ横ばいに推移している。総需要抑制政策の効果とともに、土地・株式投機の破綻、春闘史上最高のベース・アップ(福井県では民間平均二万三四一〇円)により、企業の採算は著しく悪化したのである。
 織物工賃も、原糸メーカーの減産により七四年一〇月〜一二月物までいっきょに切り下げられ、前出のポリエステル加工糸織物は一疋三五〇〇円から六〇〇円と、じつに六分の一強にまで暴落した(図79)。このため福井産地でも生産の大幅な縮小を余儀なくされた。これは残業の中止からはじまり、下請注文のカット、操短という順で進行し、七四年春から臨時工、中高年齢者を中心に人員整理に乗りだす企業が激増した(表168)。

表168 福井県合繊織物業の生産性の推移

表168 福井県合繊織物業の生産性の推移
 五月には福井県繊維産業危機突破総決起大会が開催され、(1)長期低利の緊急融資と信用補完の拡充、(2)既往借入金の償還猶予、(3)繊維製品の無秩序な輸入禁止、(4)安定操業の維持と公平な付加価値の配分、(5)緊急時の適正生産体制の確立、(6)繊維製品輸出の振興、(7)一時帰休者に対する失業保険の支給、(8)電力料金の値上げ抑制、の八項目の陳情要項が採択され、通産省、稲村左近四郎自民党繊維対策特別委員長等へ陳情が行われた。政府では、四月から六月期緊急融資として二五〇〇億円(うち政府系金融機関二二〇〇億円)の融資を決めたが、金融引締めのおりから融資条件の優遇は認められず、融資への安易な依存は困難であることが明らかとなった(『日刊繊維情報』74・5・14、30)。
 このため、業界では本格的な減産に取り組まざるをえず、七月一三日から三日間、県下全地区一斉休機が行われ、九五%の休機という「有史以来」の成功をおさめたのについで、八月一四日から四日間の一斉休機を実施した。さらに、県織物構造改善工組では、一〇月から翌年三月までの六か月間、自主減産による在庫調整をはかり、一台から一〇台の機業は一台以上、一一台から二〇台は一割以上、二一台から三〇台は二割以上、三一台以上は三割の自主休機への協力を求めた。結局一一月はじめまでに休機を届け出た機業は一二七一、月平均休機台数二万一一五七台で、組合員の四六・六%の参加をみることとなった。組合では自主減産実施にあたり各方面へ減産資金融資を求めていたが、結局、組合が商工中金福井支店、福井銀行より役員の連帯保証により借り入れてこれを転貸するかまたは業者が個別に政府系三公庫から直接借り入れる方式で、休機一台一か月につき三万円を限度として三年間(半年据置き)の融資をうけることになり、第一回分(一〇、一一月)の減産融資は二七八件、二億八三三〇万円となった。組合はさらに七五年一月より六か月間にわたり、織物の共同販売事業とこれによる買上げ品の一年間の販売凍結を実施し、総計四八万疋四二億円の織物の買上げが行われた。こうした自主減産により人員整理は一段と強化され、七四年末の三か月間に繊維工業では四五一件、二一〇五人の整理が行われた(図80)(『日刊繊維情報』74・7・16、10・25、11・23、12・7、75・9・11)。
図80 月別人員整理状況(1974〜75年)

図80 月別人員整理状況(1974〜75年)




目次へ  前ページへ  次ページへ