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 第六章 「地方の時代」の諸問題
  第一節 地域開発施策の展開
    三 原子力発電所の新増設と地域振興
      原子力発電の本格化
 一九七〇年(昭和四五)五月の「新経済社会発展計画」の閣議決定をうけて、七月に開催された総合エネルギー調査会は、日本の原子力発電の開発目標を、八五年度末六〇〇〇万キロワットに定めた(この時点で稼働中の原電の発電設備容量は、電気事業用に限ると日本原子力発電の東海一号と敦賀一号の二基、計五二・三万キロワット)。結果的には過大な目標ではあったが、こうした目標を前提に、民間電力会社は六〇年代末から七〇年代初頭にかけて、軽水炉の大容量化と国産化をはかりつつ、急ピッチで原電立地を進めていった。七二年七月に設置許可をうけ、七九年一二月に運転開始となった福井県の関西電力大飯二号までに、電気事業用発電炉は二一基約一四〇〇万キロワット(うち福井県内は八基約六〇〇万キロワット)となった。この大飯二号を境に原電の新増設はしばらく停滞するが、七〇年代末からふたたび立地の動きが強まり、八〇年代なかば以降あらたな原電があいついで運転を開始した。福井県でも八〇年八月に設置許可となり八五年一月に運転開始となった関西電力高浜三号をはじめとして計五基の電気事業用原子炉が建設された(表151)。

表151 福井県の原子力発電所

表151 福井県の原子力発電所
 一方、原子力委員会は六六年五月、発電炉の自主開発と国内における核燃料サイクルの確立を目的として、新型転換炉に重水減速・沸騰軽水冷却型炉を選定、高速増殖炉の自主開発とともに国家プロジェクトとして推進することを決定した。六七年七月には「動力炉・核燃料開発事業団法」が公布・施行となり、科学技術庁のもとに設置された同事業団(動燃)により、新型転換炉原型炉「ふげん」が七一年八月、敦賀市の日本原電敷地内で着工となった。また高速増殖炉実験炉「常陽」が七〇年三月、茨城県の動燃大洗工学センターに着工され、その後継となる原型炉「もんじゅ」の建設は七〇年代末からの立地推進の追い風をうけて認可が決定し、八五年一〇月、敦賀市白木で工事が開始された(『通商産業政策史』10、『福井県の原子力』)。



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