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 第四章 高度産業社会への胎動
   第三節 苦悩する諸産業
    四 労働運動の動向
      中小企業労働者の組織化の進展
 県内の労働組合数は、一九四九年(昭和二四)のドッジ不況、五〇年のレッド・パージの影響をうけて、四九年六月の二八七組合が五一年には二二〇組合にまで落ち込んだが、五二年以降増加に転じ、とくに五〇年代後半から六〇年代前半にかけて大幅に増加した(図50)。これは表119で明らかなように、従業員一〇〇人未満の中小企業で労組の結成が進展したことによる。五九年から六〇年にかけての増加がめざましいのは繊維関係労組の結成が進んだためで、五九年に四六組合あった繊維労組は、翌年には一〇〇組合と倍増したのである(『福井県労働組合名鑑』)。
図50 労働組合・組合員数(1947〜90年)

図50 労働組合・組合員数(1947〜90年)


表119 従業月規模別労働組合数・組合員数(1954〜60年)

表119 従業月規模別労働組合数・組合員数(1954〜60年)
 このように労働者の組織化が進展した背景としてはつぎの二点が考えられる。第一に中小企業において労働条件の改善をはかる動きが活発化したことである。福井県の労働者の賃金はもともと全国的にみてかなり低く、五八年一月から一〇月の平均賃金でみると、全国平均を一〇〇とすると、福井県は六七・一、製造業に限ると六一・八というありさまで、その格差はなかなか改善されなかった(『福井新聞』59・5・4)。五五年から五七年にかけて「神武景気」と呼ばれた戦後はじめての大型景気が到来するが、この時期福井県の基幹産業である繊維産業では賃金が低く抑えられる一方で労働時間が長くなり、好景気は労働者を潤すどころかかえって労働強化として働いた(表120)。こうした状況のなかで労働者は自己防衛のため労組の結成に動いたのである。五六年一一月、福井県乗合自動車(県バス)の労働者が労働条件の改善を求めて県バス労組を結成したことはその好例であり、これが中小企業労働者を刺激し、その組織化が促進された。

表120 常用労働者の平均月間給与額・労働時間(1953〜60年)

表120 常用労働者の平均月間給与額・労働時間(1953〜60年)
 第二に、県労評や全繊県支部が中小企業労働者の組織化に積極的に取り組んだことがあげられる。全繊県支部の場合、県労評に対抗するためにも機業場のほとんどが未組織である状態を克服する必要があった。労働者の多くが女子によって占められていた中小機業場では、その組織化の動きが鈍く、それが低賃金・長時間労働を許すことにもなっていた。そこで全繊県支部は、五九年七月の「最低賃金法」施行を機会に、業者間で都合のよい低い賃金が決められてしまうのを防いで繊維労働者の地位の向上をはかるため、強力に中小繊維企業労働者の組織化運動を展開した。その結果、繊維労組の結成が進み、一〇月には福井市地区の従業員一〇〇人以下の機業場の単位労組二〇組合を擁した福井繊維合同労働組合が結成されるにいたった。県労評も中小企業労組の育成を進め、五九年八月には福井地区中小企業労働組合連合会を結成させてこれを基盤として未組織労働者の組織化につとめていった。



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