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 第四章 高度産業社会への胎動
   第二節 地域振興と県民生活
    三 商工振興と工場誘致
      中小企業金融
 一九五〇年代に県がある程度主体的になしえたもう一つの商工政策は、財政資金を直接・間接に利用して企業の運転資金・設備資金を融通することであった。五〇年代前半には、政府による中小企業金融政策の体系化がはかられたこともあり、県の融資政策も地元銀行および中小企業金融機関を通じて行われた。そこで、県の施策をみる前に、戦後の金融機関について簡単に述べておこう。
 まず、普通銀行は、敗戦直後の一九四五年(昭和二〇)一〇月に大和田銀行が三和銀行に吸収されて、県内に本店が所在する銀行が福井銀行一行になった。県外銀行は、北陸・東海(福井支店をもつ名古屋銀行の合同により四一年成立)・富士(旧安田銀行)・協和(旧日本貯蓄銀行)・日本勧業(五〇年に普通銀行としてあらたに発足)の戦前からの五行に加え、戦後あらたに三和・住友(四七年二月福井支店開設)の二行が県内に進出して七行となった。六九年一一月の協和銀行福井支店の廃止にはじまる都市銀行四行の撤退(七〇年七月に富士、七一年八月に三和、七二年三月に東海)まで、県内の普通銀行は、都市銀行六行、地方銀行二行であった(『福井銀行八十年史』)。
 つぎに各種中小企業向け金融機関をみよう。四九年の中小企業等協同組合法により、旧市街地信用組合・旧産業組合・旧商工協同組合など、協同組織にもとづく金融機関はすべて同法による信用協同組合に改組された。しかし、旧市街地信用組合のなかには、組合員のみでなく広く地域の金融機関として活動しており、員外預金の比率も高い組合が多かったため、五一年四月に同法が一部改正され、六月に「信用金庫法」が生まれた。戦前から存在した小浜・武生・福井など八信用組合は、職域中心の福泉信用組合をのぞき信用金庫に転換し、戦後設立された信用組合も、大野・三国などが信用金庫となった。分割返済による小口の長期資金融通を行う無尽会社は、五一年六月公布の「相互銀行法」により、普通銀行に準じて預金・貸付業務を行う相互銀行に転換となった。四四年九月に県内唯一の無尽会社となった若越無尽は四九年六月に福井無尽と改称していたが、五一年一〇月に福井相互銀行に転換した。また三六年五月の「商工組合中央金庫法」にもとづいて発足した商工中金は、四九年の復興金融金庫融資の停止によって、長期資金供給体制の整備が強く要望されることになり、中小企業等協同組合法にもとづく中小企業の組織化に対応する組合金融機関として拡充された。福井県では五〇年三月に人絹会館内に出張所が設置され、五二年に福井市佐佳枝下町に移転して支所に昇格した。
 右のいわゆる民間金融機関に加えて、政府金融機関も整備された。まず、四九年五月の「国民金融公庫法」にもとづき、国民一般に対する生業資金の小口貸付機関として戦前から存在した庶民金庫および恩給金庫が統合されて、全額政府出資の国民金融公庫が設立された。福井県では五二年六月に武生支所が設置されたほか、一〇か所の信用金庫・相互銀行に代理所がおかれた。また、五二年度以降積極化した財政投融資資金による中小企業向け設備資金および長期運転資金融資を目的として五三年八月「中小企業金融公庫法」が公布された。同公庫の県内店舗設置はやや遅く、六五年一月に福井出張所が開設となった(六六年一〇月支店昇格)。最後に、四八、四九年に地方公共団体の出資によりあいついで各都道府県に設立された信用保証協会がある。これは、適当な担保・保証人を欠く中小企業に対して信用を調査して債務保証することにより、金融機関の融資を促進する制度である。そして、これは中小企業の債務不履行による金融機関・信用保証協会の損失につき政府が保険を行う「中小企業信用保険法」の創立(五〇年一二月)により強化され、さらに五三年八月にはあらたに「信用保証協会法」が制定されて業務が拡充された(『通商産業政策史』3)。なお、福井県信用保証協会の設立は四八年一二月である(『福井県信用保証協会二〇年史』)。
 このほか、長期金融機関として、五二年六月制定の「長期信用銀行法」にもとづき日本興業銀行、日本長期信用銀行、日本不動産銀行が、また復興金融金庫の業務を引き継ぎ基幹産業への融資を行う政府金融機関である日本開発銀行が五一年四月に設立されたが、いずれも県内には店舗の設置はなかった。
 さて、この時期の県の融資政策には、各金融機関に対する財政資金の預託を通じた間接的融資と、共同事業・設備近代化事業を実施する協同組合や企業に対する直接的な融資がある。
 財政資金の預託は、四九年不況のさいに金融機関の年末資金不足を補い織物業者への資金貸付を拡大するために、財政余裕金を金融機関に一時的に預けたことからはじまり、五〇年度からは制度的に継続実施されることになった。ただし、こうした預託制度は中小企業金融向けだけではなく、信用農業組合連合会・信用漁業組合連合会に対しても行われており、たとえば五五年度の場合、中小企業向け預託金が四〇〇〇万円であったのに対し、第一次産業向けは三八〇〇万円であった。中元資金・年末資金といった短期預託も行われ、『商工繊維施策の概要』によれば、五九年度の場合、中小企業金融機関の中元資金・年末資金貸出額の約五%に相当する預託がなされている。また、五二年度から五五年度には、繊維工業設備の近代化を促進するため設備近代化預託金制度も実施され、各年度六〇〇〇万円が計上された。こうした財政資金の預託は県だけではなく、県下の各市でも行われた(表108)。

表108 県および市による財政資金の預託状況(1957年)

表108 県および市による財政資金の預託状況(1957年)
 一方、協同組合の共同施設事業補助について、五四年度より従来の補助金制度から貸付金制度に国の制度が改められたことから、県においても設備近代化資金の貸付が開始された。五六年五月公布の「中小企業振興資金助成法」にもとづいて一〇月に制定された「福井県中小企業振興資金貸付規則」(県規則第一一六号)により制度が確立し、貸付金額は、共同施設事業が貸付対象物件の査定価額の二分の一以内、設備近代化事業が借手一人につき二〇〇万円以内で、いずれも無利子一年据置き、四年間均等償還となっていた。そして、県では特別会計を設けて県の負担額と同額の補助金の交付を国からうけてこの貸付事業を実施した。貸付対象は主として繊維工業であったが、その他の工業も少ないながらもある程度の融資を確保した(表109)。

表109 設備近代化資金・共同施設事業貸付状況(1954〜58年度)

表109 設備近代化資金・共同施設事業貸付状況(1954〜58年度)



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