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 第四章 高度産業社会への胎動
   第二節 地域振興と県民生活
    三 商工振興と工場誘致
      販路開拓・技術指導
 零細業者が大半を占める福井県商工業の育成振興は、財政上の比重は低いものの、県の行政への広範な支持を取りつけるうえでは欠くことのできない重要施策であった。とはいえ、産業政策として県の行政的裁量の範囲にあるものは限られており、とくに基幹産業である繊維工業については県の主たる役割は通産省の繊維行政に対する業界利益の代弁者となることであった(第四章第三節三)。県がある程度主体性をもって実施しえた商工振興政策の一つは、特産工業に代表される販売能力・技術開発能力を欠いた業界を対象に行う、販路開拓・商談あっせん、および技術研究・指導である。
 まず、県物産の宣伝およびあっせん機関として県が大阪・東京両事務所内に設置した、福井県物産陳列所がある。一九四七年(昭和二二)の貿易再開にともない福井県は大阪貿易連絡事務所を開設し、所内に物産陳列所を併置した。正式な業務の開始は翌年五月であったが、六月には大阪大丸百貨店で福井県物産卸売展を、そごう百貨店内の駐留米軍OSAKA-PXで「福井シルク展とシルクショー」を開催した。五三年一一月には物産陳列場と展示会場をもつ三階建ての新屋に移転し、県物産の紹介と商談取引のあっせんにつとめた。東京方面の販路拡張をねらって東京貿易連絡事務所および物産陳列所が開設されたのは、四九年五月であった(「大正昭和福井県史 草稿」)。
 県内外で開催される各種の見本市や展示会への出品参加も、こうした販路開拓活動の一環であった。五〇年代に福井県が開催した代表的なものに、永平寺開祖道元禅師七〇〇回大遠忌にあわせて五二年四月一〇日より開催された、福井復興博覧会(主催、福井県・福井市)がある。この博覧会は、福井市牧ノ島の福井大学を第一会場として、「繊維日本」「繊維の知識」「繊維の機械」など、繊維に関する七つのテーマ館に、全国有力メーカー八社をはじめ、茨城・長崎をのぞく四四都道府県の業者の出品をうけるとともに、「郷土の産業」「特産品のできるまで」では県内の各種特産品の紹介、「国土の産業」では全国各地の特産品が展示されるなど、大小約四〇の施設が設けられた。また第二会場の足羽山公園には、郷土博物館・天文台のほかに、動物園・子供の国(飛行塔・豆汽車・ジープ)・おとぎの国などの遊興施設が設置された。しかし、当初の意気込みにもかかわらず、おりからの長雨にたたられ客の出足がふるわなかったため、会期を一五日間延長して六月二五日までとし、結局のべ九七万人の入場者数をもって復興博覧会は終了した。県補助六〇〇〇万円、市補助四七〇〇万円を得て二億五〇〇〇万円の経費予算で企画された博覧会であったが、寄付金・出品料・入場料等の収入が伸びず、四四〇〇万円近い赤字を残して六月三〇日に事務局が解散してしまったため、赤字を県および福井市がかぶることになった(「大正昭和福井県史 草稿」)。
写真77 福井復興博覧会

写真77 福井復興博覧会

 ところで、博覧会終了後、福井市松本中町にあった福井県工業試験場が会場施設に移転し、福井県繊維工業試験場と改称した。この繊維工業試験場は、各種織物の試織・樹脂加工・意匠図案などの技術研究とともに、県内企業の巡回指導を行った。県内の企業も技術相談のために頻繁に訪問する一方、試験場の技師たちの民間企業への転出もあいつぎ、一九五〇年代末に系列メーカー・商社を通じた民間レベルの技術移転の比重が高まるまでは同試験場が福井県の繊維関連技術開発の拠点的存在であったといえる(木村亮「合繊転換期の産地織物経営」『福井大学教育学部紀要(社会科学)』49)。
 また、県の特産工芸品である木工家具・漆器・手漉紙・打刃物・眼鏡枠・陶磁器・めのう細工などの製作技術および意匠図案の指導、企業診断、技術相談を目的として、福井県工芸指導所が五二年四月、博覧会に出品された機械を購入して福井市で業務を開始した。時期はさかのぼるが、丹南地方の窯業原料の開発利用による瓦・陶器などの育成をめざして四八年六月、丹生郡宮崎村に福井県窯業試験場が開設されている。
 こうした技術指導機関が中心となって、五〇年から県が実施したものに、中小企業診断事業がある。これは中小企業庁の業種別中小企業指導方針にもとづいて実施された。五二年三月の「企業合理化促進法」の制定により国庫補助金の交付を得ることになり、以後、個別企業診断・産地診断などを中心に着実に進められた(表106)。

表106 福井県の中小企業診断(1950〜58年度)

表106 福井県の中小企業診断(1950〜58年度)
 各自治体でも特産工業の技術指導機関が誕生した。武生市では、五一年一一月に木・竹製品の技術指導を目的として武生工業指導所が、五二年一二月に打刃物の技術向上を期して武生金属試験場が設立された。また、五八年一一月、今立郡今立町が二〇〇万円の県補助をうけて今立製紙試験場を開設した(福井県経済部『昭和34年度商工繊維施策の概要』)。



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