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 第四章 高度産業社会への胎動
   第二節 地域振興と県民生活
    一 産業振興と水資源開発
      事業の進捗と発電事業
 一九五三年(昭和二八)二月の第四七回定例県議会で、三か年、総工費約四〇億円の予算案が提出され、小幡知事は、事業に要する費用をすべて国庫補助と起債でまかない、「償還は専ら電力の売却代金により償却するので、一切県民には税、その他の上で迷惑をかけない」と言明した(『第四十七回定例福井県議会会議録』)。これは、財政難、不況のもとでの巨額の事業を実施するにあたって、土地改良事業へのしわよせを懸念する農業関係議員、地域格差是正を求める嶺南出身議員、不況対策の拡充を主張する繊維関係議員などへの配慮を意味していた。
 表102にみられるように、結果的には知事の公約どおり事業はすべて国庫補助および起債でまかなわれたが、五三年度から五五年度については、緊縮予算編成方針のもとで各県の水資源開発事業予算要求が競合したため、資金調達の困難を招いた。この資金問題とつぎにみる水没補償問題が事業の執行を遅らせる原因となり、五五年度予算以降、表102のような予算計画の変更が行われ、六か年、総工費約五〇億円の事業となった。

表102 真名川総合同発事業予算・資金調達の推移(1953〜58年度)

表102 真名川総合同発事業予算・資金調達の推移(1953〜58年度)
 工事は、水没地住民がなく比較的補償問題の軽微な雲川ダムからはじまり、五四年七月本工事に着工し、同ダムは五六年一二月、湛水を開始した。五五年はじめの補償問題の解決とともに、その他の工事も本格化した。笹生川ダムは五五年四月着工し、五七年七月に湛水作業を開始した。五七年二月には、県営中島発電所が完成し北陸電力に対する営業送電を開始した。このように、五五年度から本格的な事業の執行が行われ、この年度に二八億八〇〇〇万円の予算が組まれたが、工費や補償金の支払の繰延べや起債の前借り、補助金の概算受入などにより、やり繰りせざるをえなかった。
 五六年に工事が最盛期に入り、発電事業開始の見通しが立つようになると、以前から懸案となっていた、北陸電力との売電交渉、および北陸電力・関西電力との下流増負担金交渉が開始された。
 売電交渉については、発電所の総括原価を基準に売電料金率の交渉が進められたが、原価計算への算入費目をめぐって難航するとともに、下流増負担金が決まらないために正確な原価の算定ができず、下流増に影響のない雲川単独発電期間の五七年二月から一〇月までは暫定的に一キロワット時あたり三円で売電を行った(当時、北陸電力の関西電力からの融通電力の平均料金率は二円八〇銭)。後述のように五七年七月に下流増問題についてほぼ合意が成立し、笹生川ダム完成による本料金交渉は進捗をみせ、同年一一月より六一年三月まで、一キロワット時あたり三円四三銭の料金率で売電を行うことで交渉は決着した。
 五六年六月の電源開発促進法改正により、下流増受益者が公法上の受益者負担として上流ダム設置者に対して工事費の一部負担を行うことが法的に規定され、同年一〇月には政令で笹生川ダムを含む全国一一か所のダムが下流増負担の法律の規定をうけることになった。なかでも笹生川ダムは交渉の最初のケースであるとともに、売電交渉と並行して交渉が行われる北陸電力と、売電とは無関係な関西電力との二社を対象とする交渉は全国的にも特殊なケースであったため難航した。五六年七月から関西電力との交渉がはじまるが、雲川単独発電が開始された後の五七年六月から本格的な交渉が進み、負担金の算定については収益額の金利還元の方法が採用され、九月に北陸電力二億三八五〇万円、関西電力一億七五〇〇万円の負担金の三か年年賦払の協定が締結された。またこれに付随して、ダムの維持管理費一部負担についても取り決められた。



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