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 第四章 高度産業社会への胎動
   第二節 地域振興と県民生活
    一 産業振興と水資源開発
      福井県経済振興五か年計画
 一九五〇年代なかばになると、開発計画のなかに国民所得分析を取り入れ、目標経済成長率の設定とこれを可能にする公共投資を中心とする経済計画の立案を試みる動きが本格化してきた。一九五五年(昭和三〇)一二月に閣議決定をみた「経済自立五か年計画」はその嚆矢となった。これは、生産年齢人口の雇用吸収を可能とする経済成長率を五%と見通し、産業構造の大きな変化、とりわけ化学・機械・金属工業の高成長の実現を想定するものであった。五七年一二月には、多くの目標が計画期間のなかばで達成される見通しとなり、あらたに想定経済成長率を六・五%と見込んだ「新長期経済計画」が閣議決定された。ここでは、産業構造の高度化、農業生産構造の近代化とともに、成長のネックとなるエネルギー部門、輸送部門の拡充の必要性が強調された(橋本寿朗「一九五五年」『日本経済史』8)。
 こうした全国的な経済計画の策定をうけて都道府県における経済計画の立案が各地で進められたが、福井県では、羽根盛一知事の委嘱をうけた県民経済共同研究会が立案にあたった。同研究会では、経済企画庁より講師を招いて政府の計画策定方法・手続等についての説明をうけるとともに、所得の循環構造分析を取り入れた計画策定を行った。五六年一二月に策定された「福井県経済振興五か年計画案」は、産業構造の質的改善と雇用の増大、県民所得の向上を計画目標とし、「経済自立五か年計画」の前提条件をそのまま想定してつくられた、五七年度から五か年の計画案であった。
 計画案の内容は、(1)年間経済成長率を七%と見込んで計画最終年度の六一年度には基準年度である五五年度の五三・三%増の八二三億四〇〇〇万円の県民所得の実現を目標とする、(2)産業別県民所得の比率を五五年度の第一次産業三〇・四%、第二次産業三二・二%、第三次産業三七・四%を、六一年度にはそれぞれ一九・五%、三九・四%、四一・一%とすることを想定し、第二次産業における繊維工業偏重を是正して繊維工業自体の多角化と工業誘致などによる化学工業の振興をはかる、(3)第一次産業就業者については六一年度までに一万二四〇〇人の減少を見込み、他方第二次産業は一万七〇〇人、第三次産業は九四〇〇人の雇用増を目標とする、という内容であった。そして、目標実現のために必要となる公共事業投資は、道路四三億二八〇〇万円、災害復旧三五億八五六〇万円、河川三〇億二二〇〇万円をはじめとして総計一五三億四三九四万円と計上されていた。
 計画の細目については、各部門ごとの現状認識と将来への主要指針を示したものであり、綿密な実施計画が盛り込まれているわけではないが、産業構造の改善・農林水産業の近代化・観光開発といった個々の政策目標を実現する前提として、道路改良・北陸線電化・港湾整備など交通運輸基盤の整備が強調されているところに計画の特徴があった。政府の公共事業政策の重点も、五〇年代前半の水資源開発からしだいに道路・港湾等の交通運輸基盤開発へと移行が進みつつあり、県の計画もそうした動きを忠実に反映するものであった。
 五九年からの景気の好転と民間および公共投資の急増は県民所得の急速な上昇をもたらし、六〇年度には当初の最終県民所得目標を上回ることになった。しかしながら、こうした経済成長の実現が計画にしたがって達成されたというわけではない。この「経済振興五か年計画」は、羽根県政の目玉商品の一つであったが、羽根の任期中には財政上の制約と五七、五八年の金融引締めにより、積極的な予算編成を組むことができなかった。また羽根は、この計画の具体化を進めるために、五七年九月、県民各層代表を集めた新政策懇談会設置の構想を発表した。これについては知事の意図に対する議会側の不信が大きく、いちおう一二月に懇談会は官民あわせて五〇余名の構成でスタートしたが、翌年度の運営予算が県議会で否決されたために、実質的な活動のないまま解散の憂き目をみたのであった。
 以上みてきたように、五〇年代に県で策定された二つの産業振興計画は、この時期に展開される公共事業に一定の方向づけを行うものであった。そこで以下では五〇年代前半にはじまる水資源開発について、また次項では交通運輸基盤整備および河川改修についてみてみよう。



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