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 第三章 占領と戦後改革
   第四節 戦後教育改革
    一 六・三・三・四制教育の実施
      学校給食
 学校給食は一九三二年(昭和七)に福井市で実施され、県下にも普及していったがその対象は一部の虚弱児童・貧困児童に限定されていた(『稿本 福井市史』下、『大正昭和福井県史』下)。四五年一一月、福井県は学徒の勤労作業による食糧増産で学校給食を実施するよう指示し、四六年二月、運動場・校地などの徹底利用によって給食に必要な作物の作付を指示した(資12下 一〇九)。おりからの逼迫する食糧事情のなか、その運営は困難をきわめ、自給自足的運営すらおぼつかないものであった(『福井新聞』45・12・7、46・11・15)。
 四七年一月に「福井県学校給食委員会規定」が定められ、二月から戦災をうけた福井・敦賀の国民学校で軍政部の援助をうけ、食糧不足を補うかたちで教員・保護者の勤労奉仕に支えられての学校給食が開始された(資12下 一一〇、『福井新聞』47・2・5、『福井市順化小学校百二十年史』、『敦賀北小学校100年記念誌』)。以後、県内の各小学校で実施されていったが、軍政部も深い関心を示し、「月例報告書」には実施状況やその質的向上のため、輸入食品などの配給・タンパク質補充のためうさぎやあひるの飼育の勧奨など、興味深い記録が散見される。こうした給食制度は、当時の児童の健康維持に大きく寄与し保護者も高く評価していた(武生市立図書館文書)。



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