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 第三章 占領と戦後改革
   第三節 経済の民主化と産業の再建
     三 繊維産業の再建
      織機復元問題
 しかしながら、このような有力業者を中心とした復興への流れは、あらたな火種を生むことにもなった。戦時中の企業整備により転廃業を余儀なくされた業者を中心とする中小・零細業者の復興運動がそれであり、その後の県繊維業界内部に慢性的に存在する有力機業と中小機業の政治的対立の端緒とみなすことができる。
 戦後当初、設備の新増設は「臨時建築制限規則」により許可制となっており、商工省では原則的に織機の新増設を認めなかった。したがって転廃業者をはじめとする中小・零細業者は製織実績をあげることができず、原糸割当においても非常に不利な立場にあった。一九四七年(昭和二二)一一月二一日の福井県手機織物工業協同組合(組合員五〇九名、織機台数二四七三台)設立も、県織工組や当局に対するこれら業者の圧力の誇示を意味していた。
 四八年四月、商工省は全国で一万台の輸出向け絹人絹織機登録の認可を計画した。商工省の当初の目的は緊急増産にあり、この増設計画では転廃業者よりもむしろ既存の優秀工場に重点がおかれていた。したがって、増設は一工場最低二〇台の織機台数を基準として認め、また所要資金に対する当局の融資は行わないというものであった。こうした零細業者に不利な当局の計画に対して、県機業復興期成同盟会が結成され、転廃業者に優先的な増設配分を求める陳情運動が展開された。この結果、割当を最終的に決定する商工省、安定本部、貿易庁および民間委員により構成される絹人絹織物および撚糸設備審査委員会の委員に、福井県から県織工組理事の前田栄雄のほかに、同盟会会長斎藤重雄が民間委員として加わることになった(『福井繊維情報』48・4・23、30、5・7)。

表79 第1次織機復元、福井県審査結果による原案

表79 第1次織機復元、福井県審査結果による原案
 商工省より福井県割当二〇〇〇台の内示をうけて、六月一日、県輸出絹人絹力織機(撚糸設備)復元審議委員会が開催され、一〇項目につき採点基準を設け総点により適格順位を決定した(『福井繊維情報』48・6・4)。表79はその審査結果だが、転廃業者が相対的に多数を占めていることがわかる。最終的に復元割当は、広幅織機二五一〇台(一〇三名)、撚糸機二万五〇〇〇錘(一五名)と決定され(『福井県繊維工業昭和24年度のあゆみ』)、一一月より翌年三月末の設置完了を条件に手続きが開始された。復興金融金庫からの復元融資枠の獲得運動も展開されたが、四八年末からの金融逼迫のなかで二月末にようやく約一億円(全国)の決定をみたこともあり、結局県内で四九年三月末に設置完了した織機は一四二〇台にとどまった。県では五月末までの期限延長を陳情することになったが、統制撤廃の流れのなかで六月二三日「臨時繊維機械設備制限規則」以降手続きの簡素化と当局の認可方針の緩和が進み、問題自体が消滅していくことになる。



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