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 第二章 日中戦争から太平洋戦争へ
   第二節 産業・経済の戦時統制
    二 戦時下の林業
      戦時統制下の林業
 一九三八年(昭和一三)四月に「国家総動員法」が制定され、同法の白紙委任にもとづく勅令によって物資・資金・労働などの統制がはじめられた。福井県下の林業も木炭と用材の確保を至上命令として総動員され、増産につぐ増産を強いられた。日中戦争から太平洋戦争へと長期化するにともなって銃後の国民も配給切符制のもとで耐乏生活を余儀なくされ、生活水準はどんどん低下していった。まず木炭の生産と配給統制の実態を検討しよう。石油と石炭は陸・海軍省が独自に統制をはじめたため、まもなく石油も石炭も庶民の家庭からは姿を消した。ガソリン節約の徹底でバスやトラックも木炭車への転換を余儀なくされるなど(『福井新聞』39・5・11)、木炭の需要は急増し、製炭者は国・県からの強制に近い増産割当の完遂に苦労した。表58は県下の製炭従事者と生産量の推移を示したものである。製炭従事者はほぼ横ばいであるが、生産量はガソリンの節約が求められた三九年から急増し、四〇年には一一二一万八〇〇〇貫と、一一〇〇万貫の大台を突破している。四〇年六月七日の『朝日新聞』の報道によると、同年の国からの生産割当は一二三六万二〇〇〇貫であり、実績は一一四万貫少ない。つまり過重な割当を課すことにより、かろうじて増産にこぎつけたことを示している。四一年以降の生産状況は『県統計書』に数値がないので詳細は不明であるが、福井県が七〇年に発行した『林業普及二十年』に「大東亜戦争までの木炭生産量は年二〇〇万俵程度であり、大東亜戦争中は三〇〇万俵以上生産した年もあり……」との記述がある(二〇〇万俵は貫目に換算すると八〇〇万貫)。四〇年からこの生産量の約三〇%は県外へ移出されていた(『大阪朝日新聞』40・10・3)。

表58 木炭の製造戸数と生産量(1935〜40年)

表58 木炭の製造戸数と生産量(1935〜40年)
 太平洋戦争期に入ると、徴兵強化による労力不足、原木不足、鉄道輸送の深刻化など悪条件が重なっていったが、それでもさきにふれたように木炭生産量をふやしている。それは学生や青年団員などの奉仕動員の強化のほか、農民への副業製炭奨励、さらに増産報奨金支給、一般民家からの原木供出など「根こそぎ動員」を強行したからにほかならない(『福井新聞』44・8・5)。しかし、これらの生産統制にもおのずと限界があった。福井県は四四年六月から八月にかけて重要林産物の査察を行い、「生産、輸送の隘路は労力と資材の不足である」として、林業要員制度の法制化を国に求めることを決めている(『福井新聞』44・8・5)。つまり生産統制の限界を自ら認めたのである。
 木炭の流通・消費の統制は四〇年七月の「福井県木炭配給統制規則施行細則」と八月の販売統制価格の指定により本格化する。「木炭闇取引総数十万七十一俵」、「木炭五万俵山元にストック、産地大野町すら木炭飢饉」(『福井新聞』39・11・23、12・16)などと報道されたような状況はいくぶん改善されたらしいが、木炭の鉄道貨車の配車順位は鉱石、米、用材につぐという輸送のネックは改善されなかった。木炭の集荷団体である福井県販購連や市町村産業組合、それに卸売、小売商組合など集荷・配給機構の不備もあり、施行細則は廃止されて四三年六月、あらたに「福井県薪炭配給統制規則施行細則」(県令第二五号)が定められた。木炭等の配給責任を市町村長に移し、各市町村の毎年度の配給計画にもとづき、切符配給を行うことになったのである。福井市はガスの有無のほか畳数を基準に薪炭配給の切符制を計画するなど各市町村とも公平な配給に腐心している(『福井新聞』43・5・18)。
 用材の生産統制は三九年一一月施行の「用材生産統制規則」、および「福井県用材検査規則」(県令第四〇号)によってはじめられた。両規則は当初農林大臣の定める規格に合致した丸太や板類の生産・流通の確保に力点がおかれていたが、四一年以降は軍需のほかパルプ用材、坑木資材、労務者住宅用材などを確保することに重点が移っていった。表59は木材素材(丸太類)の生産量の推移を示したものである。生産統制が強化される四一年度から急増し、四三、四四両年度は一〇〇万石の大台を突破している。四四年度の生産統制の強化状況をみると、大野郡の用材の生産割当は前年度比三六%増、南条郡は同じく五九%増という驚異的な高さである。両郡の林業者は石あたり単価は実情に合わない低さのうえ、労力や資材の不足は深刻であり、荷馬車の馬にあたえる飼料にもこと欠く、と訴えている。(『福井新聞』44・8・5)。四四年度からは航空機材としてのブナ林の緊急開発のために全額国庫による奥越地方のブナ林道が開設され(『林業普及二十年』)、かなりのブナ林材が伐採されたといわれている。用材と薪炭材の増産は乱伐を招き、ハゲ山化による戦後の水害の原因となった。

表59 木材素材生産量(1937〜45年度)

表59 木材素材生産量(1937〜45年度)



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