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 第二章 日中戦争から太平洋戦争へ
   第一節 戦争動員体制の強化
    五 戦争と県民生活
      部落会・町内会・隣組
 一九四〇年(昭和一五)一〇月の大政翼賛会の結成に対応して、官製国民運動団体の再編とともに、末端行政補助機関である部落会・町内会・隣組の整備は、戦争動員体制の強化には必要不可欠なことであった。内務省は、大政翼賛会の結成をひかえた同年九月、精動運動における実践網の整備をより徹底させるため、「部落会町内会等整備要領」を出した。これをうけて福井県は、大政翼賛会県支部結成の翌日、四〇年一二月二日に同「要領」(県訓令第三七号)と市町村通牒「部落会、町内会等ノ整備指導ニ関スル件」を発した。
 訓令では、隣保団結の精神にもとづいて区域内全戸をもって組織する部落会・町内会等の目的を、万民翼賛の本旨にのっとり、地方共同の任務遂行と国策の透徹にあるとするとともに、統制経済の運用と国民生活の安定上必要な機能を発揮させなければならないとした。また、市町村の補助的下部組織であるとも明記された。これ以降、配給・供出・貯蓄・防空訓練などの戦時体制がより強化されると、県民生活は部落会・町内会等にいっそう強く結びつけられていく。一方、通牒ではその整備について、(1)市町村協力会議は市町村常会をもってこれにあてるとともに、自治振興委員会、選挙粛正委員会等は廃止する、部落会・町内会等に部制を設け、既存の各種団体の統合をはかる、部落会・町内会の区域が行政区と一致する場合は区長を部落会長・町内会長とする、など細部にわたる指示がなされていた。
 四〇年一二月末の県下の整備状況は、整備済の部落会・町内会数が二四三四であり、部落会はすべて整備済であったのに対して、町内会の整備はわずか七三であり、五五〇の町内会が未整備とされた。隣保班は八三八四が整備済、一九五九が未整備であり、一七二市町村のうち常会整備済市町村が一七一であった。大政翼賛会県支部が結成された時点では、町内会の整備はほとんど進んでいなかった。それが、四三年九月一日の内務省の「町内会部落会等整備状況調」によれば、町内会数一二一七、部落会数一八五五(平均戸数四三)、隣組数一万三五七七(平均戸数九・七)となっている。この三年たらずの間に町内会・部落会・隣組の再編と町内会結成が急速に行われた(『資料日本現代史』12)。四二年八月には町内会・部落会・隣組が大政翼賛会の下部組織に正式に編入され、翌四三年三月には町内会・部落会の法人化がなされたように、内務省によりつねにその強化が企図されたのである。
 四一年六月、県庁において県下一七の優良町内会長懇談会が開催された。そこでの懇談内容からは、国民の強制的同質化がどのようにして進められていったかをうかがうことができる。町内会には当初、納税の向上と貯蓄の増加が期待され、実際四〇年までの福井市の町内会整備の低調は、「町内会は税金を取られるところ」という意識をもつ市民が多かったことにその理由があった。それが、丸岡町乾区の町内会長が町内会の会員を率いていくには「隣組長に対し配給に関する絶対権を附与してから統制上うまく行き」と述べ、多くの賛同を得ていたように、町内会は生活必需物資の欠乏からくる配給ルート確立をめぐって整備が進行したのである(資12上 二三五)。
写真31 隣組常会十訓

写真31 隣組常会十訓

 一方、部落会の整備が早かったのは、もともと農村部では常会に類する集会が区(大字)の生産、祭祀などに関連して恒常的にもたれていたためであり、このことに関連して選挙粛正運動や精動運動における懇談会や実践網の整備が、農家組合との競合問題があったにせよ、比較的順調に進められていたのである。さらに、大量の応召兵の送出は、早くから農村部の生産・生活の相互扶助を不可欠とし、米の供出や肥料の配給も日中戦争開始直後からはじまっており、部落会の必要性は町内会と比べ格別に高かったのである。
 こうして、部落会・町内会等の強制的同質化が進行していくが、それは前述の懇談会での発言のように、単なる配給をめぐる制裁だけではなく、勅語奉読、回覧板の回付あるいは社会的に相手にしないなどさまざまな間接的制裁によっても行われたのである。このほか、福井市では四一年夏には、町内会との連絡を緊密にし事務の円滑な遂行をはかるために、戸籍簿を小型にした町籍簿を各町内会に備え付けさせた。そこには町内に住む各世帯ごとに人数、職業、性別、年齢などが細大漏らさず記入されることになる。配給の公平を期するためということが最大の理由ではあったが、町籍簿はそれ以外にも選挙・納税などのさまざまな調査にも利用され、市民はこの町籍簿をとおして、個人・家庭のほぼすべての情報を公的に管理されることになった(『大阪朝日新聞』41・8・16、43・10・31)。
 このようななか戦局の悪化、食糧等の欠乏がさらに進行すると、それに比例して強制的同質化がより進行することになる。そしてその行き着く先には、遠敷郡三宅村役場の旧書記が述懐しているように、自家保有米供出の確実な遂行を確認するため、村人の強い要望により書記が各家の米櫃を開けて本当にお粥を食べているかの調査に回ったというような事態があった。旧書記は、連日にわたる深夜までの残業以上に、この業務がみじめで情けなかったと回想している。隣保共同という美名の隣組・部落会・町内会が、まったく反対の猜疑心や相互不信を極限にまで高めていたのである。



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