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 第一章 昭和恐慌から準戦時体制へ
   第四節 恐慌下の商工業
    四 百貨店と中小商業者の動向
      百貨店の発展と地方都市
 わが国の百貨店の歴史は、一九〇四年(明治三七)に設立された三越からはじまる。その後大丸呉服店・松坂屋呉服店が設立され、第一次世界大戦後には白木屋・松屋呉服店・高島屋呉服店・十合呉服店などが開設された。百貨店は、もともと高級呉服の販売を中心として発展し、一般の日用品は取り扱わなかった。そのため一般の小売商との摩擦は比較的少なかった。ところが大正後期、とくに関東大震災を契機として百貨店は大衆化する傾向があらわれた。つまり百貨店も食料品・薪炭・荒物そのほか日用必需品を取り扱うようになったのである。百貨店の名称から呉服店の名称が削除されるようになったのも、このころからである。昭和期に入ると、二七年(昭和二)の金融恐慌、二九年からの世界大恐慌の影響も加わり、しだいに百貨店と中小小売商との対立が激しくなっていった。
 大都市では複数の百貨店が開設され、しだいに競争が激しくなっていた。大都市の百貨店は、地方都市に進出し出張販売を行った。そのため地元の小売商との間に対立が発生したのである。
 百貨店の出張販売は福井県ではどのように行われたのか、正確なところはわからない。しかし、すでに一三年(大正二)の春には大丸呉服店が、福井市および敦賀町において出張販売を行っていたことが確認できる。すなわち大丸は、京都への四月のお上りさんに北陸の人達が多いこと、ことに本願寺の関係で北陸からの団体観光客が多いことに着目し、まず最初に北陸への出張販売を開始したのである。金沢市、富山市、福井県では福井市と敦賀町が出張販売先に選ばれ、福井市では佐佳枝上町の寒松園、敦賀町では大国屋旅館を会場に、呉服・雑貨・小間物類などが販売された。宣伝のためにチンドン屋が前日から市内を歌ったり踊ったりしたという(『大丸二百五十年史』)。また福井県においてはじめて百貨店が開店することになる昭和初期のころには京阪地方の百貨店が競って福井市で出張販売を行い、地元の小売商を圧迫したという(藤田村雨『だるま屋百貨店主坪川信一の偉業』)。



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