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 第一章 昭和恐慌から準戦時体制へ
   第四節 恐慌下の商工業
    二 原糸流通組織の構造と人絹取引所の成立
      福井人絹取引所の設立
 一九三一年(昭和六)上半期には二月末に受渡不能問題が発生し、解合により解決をはかったものの、二、三の不履行者を出し訴訟にまで発展した。三月末も一部商談中止をみ、四月末も紛糾したが受渡不履行は免れ、五月には大規模な買占めがあった(『福井新聞』31・7・17)。オッパ取引による人絹糸市場の混乱は、機業家にも影響をあたえていた。このころから人絹糸の清算取引を行う取引所を設立し、オッパ取引を廃止するべきだという声がおこってきた。三月二日には内田清福井県織物同業組合長が福井レーヨン商組合に対しオッパ取引絶滅を考究するよう申し入れた。現状では人絹糸取引の手数料を引き下げながら空売買による利益を追求することになり、業界はいつまでたっても安定しない、というものだった(『福井新聞』31・3・4)。
 福井レーヨン商組合では三月の定例総会において人絹取引所設置を決議し、日本人絹連合会などの賛同を得、四月には三六名の発起人を集め発起人総会を開催、西野藤助組合長を実行委員長に対政府交渉をくり広げた(福井県織物同業組合『五十年史』)。

表22 人絹取引所の組織と機能

表22 人絹取引所の組織と機能
 人絹取引所の設置もしくは既設取引所における人絹上場については東京、大阪、福井が認可を求めて争っていた。大阪では三品取引所での人絹上場にむけてオッパ取引を開始したという。しかし桜内幸雄商工大臣は福井のオッパ取引は「合理的に善導」するが大阪のオッパ取引は許可せず取り締まる旨言明した(『福井新聞』31・5・21)。福井は商工省の推奨する会員組織をとり、人絹糸入荷高がもっとも多いことをメリットとして運動を続け、同年一二月一二日に認可された。取引物件の上場方法は格付清算取引と銘柄別清算取引の二種で、甲種会員は前者に乙種会員は後者に参加することとされた。三二年一月に会員募集を終了し、甲種二五名、乙種一四名計三九名で発足した。初代理事長は西野藤助、常務理事に西田豊吉、理事には平田栄三郎、中島吾市、田中外雄、藤川喜太郎が選出された。五月一四日に初立会いが行われた(福井人絹取引所『第一回事業報告書』)。
 人絹取引所の格付清算取引は、帝人岩国一二〇デニールを標準品としていたが、各社製品を代用品として認め、買占めの弊害を除去した。また会員となった商人も有力原糸商が多く、会員外との売買のさい転売により第三者に受け取らせることを禁じることを申し合わせるなど差金取引と疑われることを警戒していた(『福井新聞』32・4・10)。なお、福井に遅れて東京米穀商品取引所、大阪三品取引所にも人絹上場が認められた。表22に三取引所の組織と機能をまとめた。



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