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 第一章 昭和恐慌から準戦時体制へ
   第四節 恐慌下の商工業
    一 「人絹王国」の誕生
      人絹織物検査の国営移管問題
 人絹織物の製品検査は、福井県織物同業組合により行われ、一九三一年(昭和六)一二月からは人絹織物が重要輸出品取締規則適用業種となったことから商工省の省令検査として行われていた。三二年一二月に商工省貿易局は、人絹織物検査を翌年下半期より国営に移管する旨を県織物同業組合に通達した(『福井新聞』32・12・18)。ところが福井をはじめとする全国の人絹織物産地は、これに対して猛然と反対運動をおこしたのである。その理由は、第一に検査手数料が整理前検査では一反につき一銭四厘から二銭に引上げとなること、第二に日曜・祝日、時間外検査が行われなくなること、第三に検査所支所が統廃合され製品運搬の負担が生じること、第四にあらたな検査規則によっては新規織物が不合格となる恐れがあること、などであった(『福井新聞』33・1・17〜21、2・5)。県織物同業組合、県輸出人絹綿布同盟会は国営移管反対期成同盟会を結成し、上京・陳情運動をくり広げた。
 これに対して貿易局は、海外における人絹織物の声価向上のために国営化は必要であり、検査の実際の運用については当業者の意見を斟酌する旨回答した(『福井新聞』33・1・27)。反対運動は功を奏さず、三三年三月の第六四議会において「輸出絹織物取締法」の一部が改正され、一〇月には関係勅令・省令が公布され、翌年一月一五日より全国いっせいに国営検査に移行した(『日本絹人絹織物史』、『官報』33・10・25)。ここで注目すべきは、福井県では整理後検査のみが国営に移管し、整理前検査については例外的に「代行検査」として組合検査が認められたことである。この妥協案は、すでに議会通過前の一月ころにほのめかされており、福井産地の特異な地位がうかがわれる(『福井新聞』33・1・27)。



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