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 第一章 昭和恐慌から準戦時体制へ
   第三節 教育の再編と民衆娯楽
    一 不況下の学校
      生活綴方
 生活綴方とは子どもたちが日常の生活を文章に綴り、その文章表現をとおして生活上の問題や今後の生き方について考えていく素材とするものである。
 福井師範附属小学校では、かなり早くから綴方教育に関心を寄せていた。附属小学校独自の研究集会で綴方教育がはじめてテーマにあがったのが、一九一〇年(明治四三)であり、その後一八年(大正七)、二九年(昭和四)、三一年、三五年と、かなり早い時期から議論をはじめていた。また、附属小学校が中心となって進めている県下連合教授法研究会のテーマとして「綴方教授法について」(一九一二年)、「綴方教授の系統案」(一九一七年)、「小学校に於ける綴方教育」(一九二七年)があげられている。
 また、南条郡北部教員会では、一九一二年(大正元)一一月に武生において綴方教育の議論が展開されている。県下連合教授法研究会のテーマ「綴方教授法について」に対して、武生町の三校が武生東小学校に集まり議論をし、同月一六、一七の両日に附属小学校で開催された綴方教授法研究会には武生西小学校長牧野真澄が出席した。武生東小学校では尋常六年の『国語科綴方教授細目』、および尋常三年・六年、高等科二年の『綴方指導事項』がまとめられており、教科書のない綴方の具体的な教授方法について教材・時数・指導上の注意などを柱として記述されていた(武生東小学校文書)。
 二七年には、以下にみるように附属小学校はじめ県下各郡から綴方教育に関する意見書が出された(『福井県師範学校附属小学校沿革略誌』、『福井師範学校史』)。附属小学校は『綴方教育の本質と其の実際』を発行し、綴方教育の本質や目的について論じていた。その第八章「自由選題と課題」では、自由と課題という両者の長所と短所を指摘し統合する方向で課題的自由選題や超課題・超自由選題という方法を紹介していた。
 また敦賀郡と丹生郡でも綴方教育論が冊子となって出版されていた。敦賀郡教員会は『小学校に於ける綴方教育』を発行し、「綴方の指導体系に就て」「読方と綴方」「綴方を斯く見度い」「低学年に於ける綴方」の論文を収録している。丹生郡教員会でも謄写刷りの『綴方教育ノ研究』と題する冊子を発行している。
 そのほか、年代の明記はないが、『綴り方教育意見書』(南条郡教員会)、『綴方研究発表意見書』(今立郡)、『綴り方教育に対する意見書』(吉田郡)、『綴方指導態度論』(大野郡勝山教員部会)が発行されており、この時期に全県下で綴方教育論が精力的に展開されたことがうかがわれる(武生東小学校文書)。
 こうした動きのなかで、二七年に小浜小学校(松見半十郎校長)では、尋常二年田中政次郎の『ボクノ日記』が発行された。同書は「綴方に入る道は、経験の想起からはじまる。これを育てるのが、その手ががりである」(松見)という趣旨で、田中の八月一日から三一日にかけての毎日の夏休み日記を公開したものであった。
写真12 『ボクノ日記』

写真12 『ボクノ日記』

 ところで、この小浜小学校には翌二八年一〇月に読方教授の研究会に芦田恵之助が訪れている(『福井新聞』28・10・20)。生活綴方運動の流れにはいくつかあるが、とくに大正期から提示された芦田の随意選題の普及は福井県に大きな影響をあたえたと思われる。
 芦田は東京高等師範附属小学校訓導時代に『綴り方教授』(一九一三年)、『読み方教授』(一九一六年)などを著し、それまでの課題主義・形式主義・美文主義の綴方を排して、随意選題の綴方を提唱した。二五年に公職を退き全国教壇行脚を試み、三〇年には雑誌『同志同行』を発行した。「読む、話す、読む、解く、読む、書く、読む」という七変化の国語教育法は、自己を読むという信念に貫かれている。
 二八年に福井師範学校を卒業し、二九年九月から鯖江女子師範附属惜陰小学校の訓導として二五年間勤めた田中幸は『綴り方の道』(一九三九年)を著し、六年間持ち上がった子どもたちの作品を中心に収録している。田中はそのなかで綴方との出会いがこの惜陰小学校であり、偶然の出会いを契機に生きがいをもって子どもたちの日常の生活をみつめてきたと述懐している。田中は、のちに二九年の秋に芦田が自分の学級で授業をしたことを述懐しており、ここでの芦田との出会いが一つの契機となったと思われる(『福井県の教育のあゆみ』、『福井新聞』29・10・20)。
 福井市では旭小学校に江島与之助教頭が中心となって旭恵雨会がつくられ、県内の綴方教育の中心的存在となった。三六年一二月には芦田が旭小学校を訪れ、授業と講演を中心とする実践研究会が開かれた。芦田は尋常三年生に国語の「神風」の授業を行い、七変化の教育法を示し参観者に多くの感銘をあたえた。翌三七年秋に芦田はふたたび旭小学校を訪れ、県下の国語教育関係者多数を集めて研究会がもたれた(『福井市旭小学校百年史』)。



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