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 第七章 若越の文学と仏教
   第三節 泰澄と白山信仰
    二 山林修行と白山信仰
      古代の山岳信仰
 古代の日本では、すでに仏教伝来以前の段階から、山を神の降臨する聖地とみなす考えがあった。自然に霊の存在を仮定し、それを人格化して生み出された神は、本来空中を浮遊する存在であり、時として地上に降臨するものととらえられた。その場合、とくに円錐形の形の良い山などは、神々が好んで降臨する場と考えられ、神奈備などと称されたのである。その山中には、神の降臨する場としての神木や磐座が設定され、近隣の人びとの信仰の場とされた。このような神の降り立つ場としての山に対する信仰が、やがて山そのものを神体とみなす観念を生み出すことになる。最も古い時期に成立した神社の一つとされる大和の大神神社が、今日でも拝殿はあっても本殿がなく、三輪山自体を御神体として崇めているのは、この信仰を受け継いでいるためである。こうして、山に対する信仰が広く人びとの心に意識されるようになったと考えられる。
 ただ、同じ「神の山」とはいっても、三輪山のように人里近くに存在し、比較的低くて容易に山頂にたどり着くことのできる山と、白山や立山のように海抜二〇〇〇メートル以上の万年雪を抱えた山岳とでは、人びとの認識において大きな隔たりがあったに相違ない。とくに自然そのものといえる高い山岳の場合、本来の神の姿、すなわち時として災害を引き起こして人びとから畏怖の念でとらえられる、荒ぶる神を象徴する存在とみなされた。農耕社会の成立にともない、山は水源として生活に恵みをもたらすものと受け取られるようになったが、季節によりその容貌に変化の生じる高い山岳は、依然として人びとにとっては恐るべき存在でもあったに相違ない。このように神のイメージと重ねて受けとめられた山岳は、ただその宗教的な観念だけでなく、実際に雪山の恐ろしさをもってしても、人びとにとっては容易に近づきがたい存在であった。それ故、このような地は、神聖で立ち入ってはならない場所とされ、これを仰ぎ見ることのできる場所に社を営み、ここから遥拝するという信仰の形態をとり続けてきたのである(下出積與「山岳信仰と仏教」『古代日本の庶民と信仰』)。
 ところが、中国や朝鮮半島から日本にやってきた渡来人によって仏教や道教といった外来の宗教思想が伝わると、仏教の山林修行や道教の神仙思想の影響で、逆にそのような神秘的な雰囲気を有する場所であるが故に、あえて危険を冒してでもそこに足を踏み入れると、ともすれば常人にはない宗教的な力を獲得することができると考えられるようになった。こうして山岳は、神の聖地として恐るべき存在であると同時に、得難い力を身に付けることのできる修行の場として認識されるようになる。このことは、在来の信仰体系にもとづく山の有する神性が、外来の宗教思想の影響を受けた修行者によって克服されたと評価することもできるのである(速水侑『呪術宗教の世界』)。
 



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