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 第七章 若越の文学と仏教
   第二節 古代の寺院
    三 若狭の初期寺院
      下タ中遺跡
 下タ中遺跡は三方郡から倉見峠を越えた国道二七号線の北側に広がる平野部の、上中町下タ中「瓦塚」周辺に所在する。この地域は「遠敷郡安賀郷」に比定され、古代地名が現「安賀里」としてそのまま残存するところである。瓦出土地の周辺は微高地になっており、鎌倉初期にこの地の地頭だった安賀高賢の屋敷跡と伝承されてきた。また隣接して小字瓦塚があって、古くから瓦の出土地として知られていたが、昭和四十三年ごろの土地改良で消滅してしまった。その時部分的に調査されたが、瓦塚は瓦溜りで遺構は発見されなかった。おそらく微高地一帯が廃寺跡と推測されるが、すでに削平され、あとかたもなく消滅していたのである。周辺からは神功開宝や奈良・平安の土器がかなり採集されている。瓦は平瓦だけで軒丸瓦は発見されていない。平瓦は桶巻づくりで叩き目は菱形格子となっていて、その形態から白鳳期の製作と考えられよう。実態は明らかでないが、寺院は確実に存在しており、在地の姓を名乗る安賀一族とのかかわりも考えられる。ちなみに、この場所より北東約五〇〇メートルの山裾に瓦窯の残欠があり、採集瓦から下タ中遺跡へ供給したものであることが確認されている。



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